写真は、2016年、参院選時のもの
「つくづく、この国の政治は、嘘と、政治家の国内的打算で出来上がっていると思う。」 (*1)
そうこぼすのは、大川隆法・幸福の科学グループ総裁だ。
北朝鮮の核・ミサイル危機の中、国連でアフリカ諸国にまで協力を求めた直後、9月28日の臨時国会冒頭で、安倍首相は衆議院を解散する。民進党の山尾志桜里議員のスキャンダル、小池新党の準備不足の状況を見て、今が勝機と判断したようだ。
一方の北朝鮮とアメリカの応酬はヒートアップするばかりだ。北朝鮮が太平洋での水爆実験を示唆した後、米戦略爆撃機が北朝鮮沖合にまで飛行し、今度は北朝鮮がこれを「米国による宣戦布告だ」と主張するに至っている。
当然のことながら、選挙期間中は、北朝鮮にとって最も攻撃しやすい弱点となる。このような状況で総選挙を決行するという決断は、いかがなものか。そう首をかしげる人も多いだろう。
「『アメリカ単独で勝手にこの国を守ってください』と言っているに等しかろう。」 (*1)
そう大川総裁は続ける。
(*1)『自分の国は自分で守れ』(幸福の科学出版刊)「まえがき」
北朝鮮の核危機を1994年から訴え続けていた大川総裁
幸福実現党立党の母体となった宗教法人・幸福の科学が、北朝鮮の核兵器・ミサイル開発の問題、それから中国の軍事拡張主義に警鐘を鳴らし始めたのは、実に1994年のことだ。1993年の3月のNPT(核拡散防止条約)脱退に始まる、第一次の北朝鮮核開発問題が、東アジアのパワーバランスを大きく揺らす可能性がある。大川総裁は、早くからその危険性を予見していた一人であった。
「私は北朝鮮の指導者および民衆に対して申し上げる。
核兵器を捨てなさい。
そして、西側の自由主義国家の人たちと、
心を開いて、胸襟を開いて、語り合いなさい。」
「中国の人たちに対しても、私は申し上げたい。
軍事的拡張をやめよ。
軍国主義をやめよ。
そして、核兵器を捨てなさい。」
大川総裁は、1994年7月24日に行われた東京ドームでの法話「異次元旅行」(『ユートピア創造論』(幸福の科学出版刊)所収)において、このように訴えている。
また、同年9月に公開された映画「ノストラダムス 戦慄の啓示」(製作総指揮・大川隆法)においても、北朝鮮を想定した「北アジア共和国」が日本に向けて核ミサイルを発射しようとするシーンを描き、近未来に起こりうる事態について警鐘を鳴らしていた。
映画「ノストラダムス 戦慄の啓示」より。「北アジア共和国」ミサイル基地のシーン。
それでも、北朝鮮の核開発やミサイル開発はとどまるところを知らなかった。核開発問題に関しては、1994年10月の「枠組み合意」で解決されたかに見えたが、その後はテポドンの発射準備と引き換えに米国に補償を求める「ミサイル外交」が始まる。
2002年10月には、濃縮ウランによる核開発計画が発覚する。2003年以降、北朝鮮は核開発計画を公然と宣言していたが、ブッシュ政権下での六ヵ国協議による対応は、米国側の関心不足も相まって、結果的に実りあるものとはならなかった。
そして、2009年4月5日、北朝鮮の発射したミサイルが、初めて、日本の東北地方の上空を通過することとなる。麻生太郎政権 (当時)は、保守本流の期待を背負っていたはずであったが、これを「北朝鮮から『飛翔体』が発射された」と発表し、ミサイルと断定するのを避けようとした。NHKをはじめとするマスコミの多くもこれを「飛翔体」と報道したり、または、北朝鮮側の発表を鵜呑みにして「人工衛星打ち上げのための実験だった」と報道する始末であった。
2009年5月、幸福実現党の立党
こうした状況を受けて、幸福の科学グループは、長年支援を続けてきた自民党と決別し、2009年5月、幸福実現党を立党することになる。大川総裁は、当時、このように述べている。
「北朝鮮は、『国連が制裁決議などを行えば、それを宣戦布告とみなす』というようなことを、すぐに言います。また、金正日(当時、総書記)は奇襲攻撃をかけてくるタイプの人ではないかと思うので、これに対しては具体的対策を今すぐに練ってもらわないと困ります。
今の自衛隊法では、攻撃を受けてからでないと、自衛隊は反撃できないことになっていますが、ミサイルを都市部に打ち込まれた場合、それが核ミサイルであれば、その都市はもう"終わっている"のです。
広島・長崎型レベルの原爆が北朝鮮にあることは分かっているので、北朝鮮から核攻撃を受けたら、少なくとも十万人以上は死にます。『十万人以上が死んでから、対策を立てる。対策本部を設立して、どうにかする』ということでは、どうしようもありません。二発目が飛んでくる方が早いと思うので、今、具体的対策を立てなければいけないと思っています。
この危機感が、幸福の科学を変えたのです。」 (*2)
2009年8月の衆議院議員選挙。幸福実現党は各地で北朝鮮の核開発・ミサイル危機への対応の必要性を訴えかけ、中国の覇権主義にも警鐘を鳴らし続けた。
当時、国防に関する危機感は、政党やマスコミの間でも、ほとんど浸透していなかった。今では真面目に議論されている憲法改正論も、まったく目立っていなかった。マスコミの報道も、世論の主軸も、現在よりはるかに「戦後民主主義」の風潮が強かったのだ。
そして、2009年8月の衆院選。
鳩山由紀夫代表率いる民主党のポスター(旧・民主党Webサイトより)。
「政権交代。」だけをキャッチコピーに掲げた鳩山由紀夫氏率いる民主党(当時)が、308議席の獲得という圧倒的な勝利を手にした。国民は、北朝鮮や中国に親和的な、左派政権を選んだのだった。
(川島一朗)
(*2)2009年6月13日、幸福の科学秋田支部精舎での法話「最後は信仰をとれ」より。『大川隆法政治講演集2009第一巻「法戦の時は来たれり」』(幸福実現党刊)所収)
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