2024年6月号記事

地域シリーズ 長野

真なる仏教精神を長野から世界へ

各地域が異なる色彩を持つ長野県。だがそこには、仏教精神という共通の基盤があった──。

「長野県は『信濃合衆国』なんです!」

同県出身者は口をそろえる。8つの県に接するほど広大で、山に隔てられているために、地域ごとに独自の文化や風習が育まれてきたからだという。

そんな地に住む"信州人"たちには、歌えば途端に"長野県民"として心を一つにする歌がある。

その名も「信濃の国」。

1968年に県民意識の高揚のため、県歌に制定された。今では「長野県民のほとんどが歌える」と言われ、世代を超えて歌い継がれてきた。

一番の歌詞にはこうある。

「松本 伊那 佐久 善光寺──」

善光寺は、「牛に引かれて善光寺まいり」という民話でも有名な県のシンボルとなっており、日本中から篤い信仰を集めてきた。その歴史は約1400年を数え、地元の長野盆地は「善光寺平」とも呼ばれている。

実は、その善光寺の起源は「聖徳太子」と深い関係がある。

聖徳太子、そして仏教との深い縁

聖徳太子は日本に仏教を導入し、その教えを基に日本の国体の礎を築いた。そのあまりに偉大な業績から、古くから人々の信仰を集めている。

善光寺近くの長野市内、須坂市、高山村、千曲市、飯綱町などに聖徳太子を祀る太子堂が建立されるなど、太子信仰が受け継がれている。

また、諏訪大社や戸隠神社なども江戸時代までは神仏習合で、仏と神とが一体となって信仰されてきた。このように、さまざまな形で仏教が根付いてきたのである。

長野を訪れ、仏教との深い縁に触れた。

※文中や注の特に断りのない『 』は、いずれも大川隆法著、幸福の科学出版刊。

 

 

 

次ページからのポイント(有料記事)

長野に息づく仏教と聖徳太子の深い縁

廃仏毀釈の波に立ち向かった信仰篤き人々

仏教精神を宿した「新しい時代の啓蒙活動」