インドはいかにして「核保有国」となったのか 「インドは物乞いではない」という主権国家の気概

2023.07.17

インドのモディ首相(画像:exposure Visuals / Shutterstock.com)。

G7などの先進国に対し、新興国と途上国からなる「グローバルサウス」の中心的な存在として、その動向に注目が集まるインド──。

2023年8月号の本誌記事「世界大戦になるか否かカギを握る大国 10年以内にインドを取り込め!」では、インドが中国とロシアの側につけば、米欧中心の西側諸国との間で世界大戦となることに警鐘を鳴らし、それを防ぐための方策について提言した。

本欄では、独立後のインドが、特定の国と蜜月になりすぎない「戦略的自律性」を守る中で、いかに核保有国となったのか、という点について見ていきたい。

インドは、中国の軍拡・核保有を座視できなくなった

インドは第二次世界大戦後の1947年、イギリスから独立した。当時、米ソ冷戦構造の下、各国がどちらかの陣営につくかという姿勢を鮮明にする中で、インドは「非同盟政策」を取り、良好な関係を築いていた中国を、米ソに対抗する第三世界のパートナーと見なしていた。

しかし、その関係は長くは続かなかった。

インドと中国の間に位置するチベットに対し、中国が支配を強化し始めたことで、領土問題へと発展。1962年に中印戦争が起きるが、インドは敗北を喫する。その後、中国は、64年に原爆実験を成功させ、67年には水爆を保有。さらに、インドに届く東風3号(DF-3)のミサイル実験を繰り返し、70年代には核を搭載して実戦配備するまでに至った。

国境を接するインドは座視してはいられなくなる。中国の核実験から10年後の1974年、「原子力の平和利用目的」として、初めて地下核爆発実験を実施。事実上の「核保有国」となった。

インドの核保有は、アメリカやカナダ、フランスや西ドイツなどの各国から激しい非難を浴び、原子力関連の資源や技術の輸入を絶たれるなど、さまざまな制裁を受けるが、その後もインドは独力で核開発を進めていく。

隣国パキスタンの核開発に対する懸念

核を巡る中印の攻防は、同じく国境を接するパキスタンの核開発も含め、複雑な過程を辿る。

パキスタンは1971年の第三次印パ戦争で大敗し、74年のインドの核実験に危機感を高め、「我々は草や葉を食べてでも核爆弾を持つしかない」(ブット首相)と決意。80年代の後半に原爆の製造能力を獲得する。

それが可能になった背景には、米ソ冷戦下におけるパキスタンの地政学的な位置付けが関係していた。パキスタンは、当時アフガンに侵攻していたソ連が目指すインド洋への出口に位置していた。そのため、アメリカはパキスタンの核保有を黙認。中国もパキスタンに核開発を支援することによってインドを牽制しようとしていた。

その後、ソ連が崩壊すると、アメリカは1995年に、当初25年間の期限付きだった、核保有国を米英仏中露に限る核不拡散条約(NPT)体制を、無条件・無期限で延長することを決めた。

これにより、印パ両国はアメリカににらまれることになるが、両国の対立が激化した1998年5月には、印パが相次いで核実験を強行。インドにとっては、初めての核実験から24年が経ち、核が劣化していたことや、中国に比べて技術水準が低いこと、このタイミングで行わなければ科学者に技術継承ができなくなるという事情もあった。

「核保有で、国によって差をつけるような体制は受け入れられない」

核を巡り、インドとアメリカの距離が縮まったきっかけは、2001年の米同時多発テロだった。

テロを主導したアフガニスタンで活動するイスラム教スンニ派の組織「タリバン」をたたくため、アメリカは周辺国である印パの協力が必要になり、両国への武器や軍事物資、金融関係の制裁を解除。その後も、インド洋からアラビア海にいたるシーレーン防衛における米印対話が進み、2006年には、二国間の民生用原子力協力である「米印原子力協力」が固まった。

ただそこにいたるまでには、その裏で、激しい交渉が行われていた(以下、インド要人の発言は『インドの衝撃』(NHKスペシャル取材班編)より)。

1998年にインドが核実験を行った当時、バジパイ政権で筆頭首相補佐官を務め、核戦略の立案で中心的な役割を果たしたブラジェシュ・ミシュラ氏は、NPT体制に反対したインドの立場を、以下のように説明している。

「核保有に関して、国によって差をつけるような体制を受け入れることなどできないというのが、我々インドの一貫した政策なのです。そして同時にまた、軍事的な面からも、核兵器という選択肢を持っておきたいと考えたのです」

そこには、150年にわたりイギリスの植民地となって悲惨な歴史を経験したインドの欧米への疑念、危機感がにじむ。

「インドは物乞いではない」

また、1998年当時、国家計画委員会の副委員長だったジャスワント・シン氏は、パジパイ首相から対米交渉を一任され、インドの立場を世界に伝えるという重責を担った。

当時、アメリカはインドに経済制裁を科していた。インドの核実験に追随する国が出てくることを恐れ、インドが包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名することを制裁解除の条件にしていたのだ。

しかし、シン氏は、当時、アメリカの代表者であるストロブ・タルボット国務副長官と一対一で対話をした時の心情を、次のように語っている。

「私は、米国や、友人であるストロブ・タルボットに何も求めてはいないのです。私は彼に対して、一度たりとも制裁を解除すべきだと要求したことはありません。私は彼に対して、何ら軍事的、経済的その他の援助を求めたこともないのです」

「インドは物乞いではありません。インドは、その指導層と市民がそのことを認識しさえすれば、大いなる偉大さを持った国なのです」

このようにして、厳しい制裁が続く中でも、インドは国家防衛の要としての核を手放すことはせず、今では、164発もの核弾頭を持つ「核保有国」となっている。

こうしたインドの核保有の歴史を振り返ると、日本の政治家の外交力の弱さ、気概のなさに思わずため息が出る。

核保有国の中国や北朝鮮の脅威が迫る日本であるならば、少なくとも核装備の積極的検討は進めるべきであり、そもそも憲法9条の改正を進め、自衛隊を「国防軍」と位置付けるなど正直であるべきだ。

インドの姿は、日本にとって学ぶところが多い。

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『ザ・リバティ』2023年8月号

「世界大戦になるか否かカギを握る大国 10年以内にインドを取り込め!」掲載

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2023年8月号 世界大戦になるか否かカギを握る大国 10年以内にインドを取り込め!

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タグ: 中国  イギリス  植民地    パキスタン  核開発  グローバルサウス  領土問題  インド  自衛隊 

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