画像は、現在の大仏を基に、編集部で作成したもの。

2020年8月号記事

大毘盧遮那仏像 建立の奇跡

奈良・東大寺にある大毘盧遮那仏像、いわゆる「奈良の大仏」は、

天然痘の流行を機に造られた、世界最大の金銅仏像だ。

その建立の軌跡をたどると、ある奇跡が浮かび上がってきた。

(編集部 飯田知世)

約1200年前の日本に、仏陀が姿を現した─。

大毘盧遮那仏像。

東大寺にある、いわゆる「奈良の大仏」だ。

毘盧遮那仏とは、宇宙の真理を象徴した仏陀。「世を照らす仏」「光輝く仏」を意味するという。それを人間の形で表したものが、奈良の大仏だ。

奈良時代、国を挙げて造られた大仏は、金銅仏像としては、世界最大。戦火により2度焼失したが、創建時、全身には金が塗られており、その姿はまるで天上界から仏陀が降臨したかのようだったという。創建時の姿を今にとどめているのは、蓮華座とひざ頭の一部だ。

仏の法恩に浴する天下に

奈良時代、仏教は国家の平安を護るための教えと考えられていた。その象徴が、『金光明最勝王経』。為政者が仏法を軽んじれば、災害や疫病などが発生する。いわゆる「鎮護国家」思想である。

しかし当時は、有力貴族の藤原一族と長屋王を中心とする皇族の政権争いなどで、国が二分された時代でもあった。

聖武天皇は光明皇后と共に仏教に帰依し、篤く信仰していたが、疫病や天変地異が多発。特に、天然痘が流行した時は、国を挙げて祈念したが、収束までに2年の歳月を要し、総人口の約3割が亡くなった。光明皇后の異母兄弟である藤原四兄弟も、帰らぬ人となった。

しかし、天からは慈悲の光が降り注いでいた。

聖武天皇はある時、光明皇后と河内国(大阪)の知識寺を訪れた。そのご本尊は、毘盧遮那仏像。しかも、民の力で造られたという。

毘盧遮那仏への信仰の下、民が一つにまとまっている─。

当時、仏教は朝廷や貴族など限られた人が信仰するものだった。僧が寺の外で布教することは禁じられていたため、多くの民は「仏」を知らなかった。

光明皇后の勧めもあり、聖武天皇は743年、「大仏造顕の詔」を発する。詔からは、その切実な心情が伺える。

「朕は徳の薄い身でありながら、かたじけなくも天皇の位をうけつぎ、その志は広く人民を救うことにあり、努めて人々をいつくしんできた。国土の果てまで、すでに思いやりとなさけ深い恩恵をうけているけれども、天下のもの一切がすべて仏の法恩に浴しているとはいえない。そこで本当に三宝(仏法僧)の威光と霊力に頼って、天地共に安泰になり、よろず代までの幸せを願う事業を行なって、生きとし生けるもの悉く栄えんことを望むものである」(*1)

ここに、世界最大の金銅仏像の建立事業が幕を開けた。

(*1)『続日本紀』(講談社学術文庫、宇治谷孟訳)

次ページからのポイント

祈りの力で「金発見の奇跡」が起きた!

大仏建立は、多くの民が「仏」を信じて実現した奇跡

戦火による焼失からの再建も、全国を勧進して回った