安保法制や憲法改正の議論で出てくる「立憲主義」の源流の一つに、13世紀の英国でつくられた法典「マグナ・カルタ」(大憲章)がある。1215年6月15日に英国王ジョンと諸侯との間に結ばれたマグナ・カルタは、王の権限を限定し、英国民の権利を定めたもの。今月15日は、その800周年にあたる。

マグナ・カルタは、西洋では国民の自由の保障、民主主義、法の支配などの礎となり、国連の世界人権宣言や米国憲法などの基礎になったとされている。では、西洋の民主主義思想のもとになった「マグナ・カルタ」は、どのような経緯で生まれたのか。

国家権力を制限して国民の人権を守る「マグナ・カルタ」

中世前期、イギリスのジョン王は、フランス王フィリップ2世との戦いに続けて敗れ、深刻な財政難に陥った。ジョン王は戦争継続のために、国内で重税を課すなどして、諸侯の対立を深めた。貴族の不満が爆発し、退位か処刑を迫られたジョン王は、「王の権限の制限」を定めた文書「マグナ・カルタ」を承諾することで事態を収拾した。

こうして制定されたマグナ・カルタは「国家権力から国民の人権を守る」ものだった。これは近代立憲主義の「憲法は国家権力を縛るもの」という考え方につながる。つまり、マグナ・カルタの根本には「強大な権力を持つ者は、悪事をなす可能性があるため、権力を制限する法が必要だ」という考え方がある。

仏教への信仰と徳治主義を唱えた聖徳太子の「十七条憲法」

ここで、日本精神の根源をつくった聖徳太子の「十七条憲法」を比較してみたい。マグナ・カルタから600年以上も前につくられた「十七条憲法」の中には、民主主義と仏教的精神が融合されている。国家権力については、「偉大な権力には、必ず偉大な責任が伴うため、徳のある政治家が国を納めなければいけない」という徳治主義の考え方がある。

このように、マグナ・カルタには、「力のある者は悪事を犯すので、国民の権利のためには、憲法で権力者を縛る必要がある」という性悪説的な考え方があるのに対し、十七条憲法には「権力者には、神に選ばれるような『徳』のある人が選出され、徳治政を行うことで国民の幸福が守られる」という性善説的な考え方の違いがある。

宗教的精神と「徳」のある政治家による国家運営を

民主主義の良さを生かしながら、徳をもって国民を正しい方向に導く政治が、今、求められているのではないか。日本は本来、祭政一致で、神の声を聞きながら政治が行われていた。現代の政治家も、主権者である国民一人ひとりも、戦後の日本が忘れてしまった「宗教的精神」を取り戻す必要がある。(真)

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幸福実現党刊 『幸福実現党テーマ別政策集 1 「宗教立国」』 大川裕太著

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