袁世凱(画像は、Wikipediaより)。

5月9日、日本が中国の袁世凱(えん・せいがい)政権に対し、「21カ条の要求」を行い、受諾された日から今年で100年を迎えました。

「21カ条の要求」とは、東京書籍の「新しい社会 歴史」(平成23年発行)で、このように説明されています。

「第一次世界大戦で、欧米列強のアジアへの関心がうすれたのを機に、1915年、日本は中国に、山東省のドイツ権益の継承、旅順・大連の租借期間の延長などの二十一か条の要求を示し、その大部分を認めさせました。しかしこれは、中国の主権をおかすものでした。大戦後、中国はドイツ権益の返還を主張しましたが、パリの講和会議で山東省のドイツ権益を日本が引き継ぐことが認められると、中国の反日感情は爆発しました」

中国では戦前より、「21カ条の要求」を受諾した5月9日を、国家の恥辱となった「国恥記念日(中国語:五九國恥)」として定め、民衆に日本への恨みを植え続けてきました。日本の教科書の記述を見れば、「日本は悪いことをした」と思うかもしれません。