2015年3月号記事

「永遠の0」も描かなかった真実

日本軍は世界一人道的だった


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Part4 沖縄戦

日本軍は沖縄を見捨てたという主張が、自虐史観の一つになっています。その真相を探ります。

沖縄戦は、日米最大の激戦となり、10万人近くの沖縄県民が犠牲になりました。

命を奪ったのは米軍ですが、GHQの占領を経て、沖縄のマスコミは、「日本軍は沖縄を見捨てた」と主張しています。

しかし実際には、日本軍は沖縄を見捨てていません。その証拠に、戦艦大和を含めた「特攻作戦」を行い、命を懸けて沖縄県民を守ろうとしました。

ウソ 日本軍は沖縄を見捨てた

真実 特攻や玉砕などで沖縄を守ろうとした

特攻は無駄死にではない

沖縄戦に出撃した陸軍特攻誠第119飛行隊に所属した10代の若者たち。みな一様に笑顔を見せている。

日本軍は沖縄を守るために、約9万人の兵士が命を落としました。 大和も、沖縄の浅瀬に乗り上げて「陸の砲台」となり、全弾撃ち尽くした後、乗組員全員が米軍に切り込む計画で出撃しました。

また、 戦闘機約1900機が出撃し、約3千人が戦死しました。太平洋戦争での特攻の死者は、沖縄戦が最大です

さらに、この特攻は「無駄死に」ではありませんでした。沖縄戦に参加した米艦隊は、沈没30隻以上、損傷300隻以上という被害を受けました。米軍の被害としては、最大のものです。

沖縄の特攻をめぐって、こんなエピソードがあります。

藤井一中尉は、熊谷陸軍飛行学校の教官として、特攻する若い飛行兵を育てていました。教え子が次々に特攻に行くことに耐えかね、特攻に志願。しかし、教官という立場により、許可が降りませんでした。すると、当初、特攻に反対していた妻の福子さんが、3歳と1歳の2人の子供に晴れ着を着せて、飛行学校の近くの川で入水自殺。遺書には、こう書かれていました。

「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」

妻子の遺体のそばで号泣した藤井中尉は、その後3度目の志願が認められ、沖縄戦で散華したのでした。

次ページからのポイント

日本軍は住民に「生き延びろ」と指示した

大和は支援物資を積載し沖縄県民を見捨てず、日本軍は人命保護に全力を注いだ

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