読売新聞が中国での宗教弾圧を取り上げている(27日付)。中国浙江省で、政府の管理下に置かれたキリスト教会の十字架を、当局が撤去しているという。その数は300件を超えるとも言われ、抵抗する信徒と警察の間に衝突も起きている。十字架を撤去された教会に通うある信徒は、「十字架は私たちの心の中にあり続けている」と語る。

記事によると、当局側は「十字架が道路に落ちたら危険だ」と説明しているという。しかし、多くの教会関係者は、昨年、浙江省のトップが視察した際に十字架が目立ったため、目障りだとして撤去を命じたと考えている。一方で、アメリカのキリスト教人権団体は「キリスト教の影響力拡大を抑えたいのが本音だ」と分析。中国の公式統計では、2010年にプロテスタント系の信者は2300万人だったというが、米世論調査会社ピュー・リサーチセンターは、実際にはプロテスタント系信者は5800万人に上っていたとする。

中国当局が神経質になる背景には、「易姓革命」の思想への「恐怖心」があるのだろう。それは、「天子(指導者)が徳を失ったとき、天の命が別の人物の元に下る。つまり革命が起きる」という考え方だ。

実際、中国では易姓革命思想を元に、宗教活動が政治活動に転化して政治の主体を替えるということが何度も起きてきた。道教をベースにした新興宗教による「黄巾の乱」や、仏教系の宗教結社による「義和団の乱」などがある。共産党はそうした事態を防ぐため、信徒を党の管理下に置き、ときおり介入することで、宗教活動を制御しようとしているのだ。

ただ、身体を拘束したり、十字架や建物を壊したりなど、物理的に活動を制限することはできても、信仰心そのものなど、人々の心の中までは介入できない。むしろ、当局が人々の信仰に介入することで、人々の支持を失い、易姓革命を近づけている可能性もある。

信教の自由は、人間として最も基本的な権利だ。信教の自由を侵す行為は、中国が唯物論の独裁国家であることの証明であり、どれほど経済的に発展したとしても、近代国家とは呼べない。

共産党指導部は宗教を封じ込めるのではなく、神仏の目から見て恥じるところのない政権運営を目指すべきだ。(居)

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2013年11月22日付本欄 宗教弾圧を強める中国 内心の自由までは奪えない

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2011年12月号記事 中国13億人の幸福のために

http://the-liberty.com/article.php?item_id=3146