徳島県吉野川市の吉野川市役所で3日、同市川島町で見つかった大日寺遺跡の発掘について、市教委の生涯学習課が記者会見を行った。この遺跡は幸福の科学川島特別支部の境内地から見つかったもので、幸福の科学は発掘調査に協力するため施設建設計画を見送っている。

川島特別支部は本誌取材に対し、以下のようにコメントした。「千年以上以前の古代寺院の遺跡発掘を通して、今後、この遺跡が徳島県や吉野川市のさらなる地域の活性化や観光資源となって、地域貢献できるように全面協力をしています。この協力に対し、徳島県や吉野川市の教育委員会や地域の皆様より多くの感謝のお言葉をいただいています」

大日寺とは、大日如来を本尊とする奈良時代の古代寺院と推定される。この大日如来とは、東大寺の大仏である毘盧遮那仏とも同一視されている。大日寺が川島町に存在していたことは、江戸時代の文献『阿波志(あわし)』に記述されており、『川島町史』(昭和54年刊行)では、大日寺が塔と金堂が東西に並ぶ法起寺式伽藍配置を持つと推定されていた。

大日寺遺跡が見つかったのは2012年秋から2013年にかけて行われた市の調査による。第一次調査では、同地からは大日寺の存在を確証する材料となる大日如来像の一部と考えられる「螺髪(らほつ)」や、大日如来像が安置されていた「金堂(こんどう)」の一部と考えられる鬼瓦が多数発掘された。その後、徳島県教育委員会の指導のもと、吉野川市教育委員会が継続して調査を行ってきた。

記者会見での吉野川市の発表によれば、今年4月から進められていた第二次調査では、建物跡が金堂であることと、その位置が特定された。螺髪や鬼瓦も追加で多数発掘されており、発掘された瓦や土器の特徴からは、大日寺が奈良時代までには建立され、少なくとも平安時代まで存続していたことが分かった。

今回の発掘調査は7月末で終了し、吉野川市教育委員会は県指定文化財を目指して、今後報告書を作成する予定だ。遺跡現場は遺構や遺物を保護するために一旦埋め戻す。 今後のあり方については、 文化庁や徳島県の指導のもと、協議しながら検討していくという。

歴史的にも非常に大きな発見だが、徳島県の川島町で発掘されたことには、宗教的にも大きな意味がある。大日如来、すなわち毘盧遮那仏は、仏陀の悟りと修行、霊界の秘儀を象徴しており、幸福の科学の本尊であるエル・カンターレの一側面を表した存在だからだ。

大日寺の遺跡が発掘された場所は、再誕の仏陀である大川隆法総裁の生家にほど近い場所だ。今回の発掘で、当地には奈良時代から大日如来への信仰が集まっていたことがわかった。四国は現在でも八十八箇所の巡礼が行われている霊場である。川島町には、仏陀の再誕地という聖地としての下地ができていたと言えるだろう。遺跡発掘をきっかけに、四国の歴史的・宗教的意味にも再び注目していきたい。(晴)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『仏陀再誕』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=175

幸福の科学出版 『信仰のすすめ』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=136

【関連記事】

Web限定記事 徳島・川島町「聖地」の証明 - 大川隆法・幸福の科学総裁の生誕地で「大日寺」の遺跡発見

http://the-liberty.com/article.php?item_id=5854

2013年6月号記事 Happy Science News The - Liberty 2013年6月号

http://the-liberty.com/article.php?item_id=5929