靖国神社では4月21日から23日にかけて、春季例大祭が開催されている。それに合わせ、安倍首相は21日、靖国神社に「真榊(まさかき)」を奉納した。私費奉納であったが、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名で行われたと報道されている。また、22日午前には、新藤義孝総務大臣が靖国神社に参拝。これらには例の如く、中国や韓国の非難、アメリカの消極的な反応への懸念が報じられている。

このいわゆる「靖国問題」に関して先週、気になる記事が公開されていた。「靖国神社は『宗教』ではない。」という見出しの対談記事(日経ビジネスオンライン15日付)だ。

ジャーナリストの池上彰氏が、上田紀行・東京工業大学教授と対談しており、両氏は、戦後日本の価値観が「偏差値や会社やお金といった合理主義」に一本化されてしまい、宗教や教養、多様性が顕著に失われているなどと論じている。

「靖国問題」にも言及し、「宗教や歴史の観点を踏まえない靖国参拝」への懸念を顕わにした。特に両氏は、「安倍首相は、靖国神社を宗教施設だと思っていない」と指摘して、自民党の政治家に見られる、「靖国参拝は宗教行為ではないから、政教分離に反しない」という考え方に疑問を呈した。

首相等による靖国参拝は、先人を慰霊し、日本の誇りを取り戻すために欠かせないということは、本欄で再三訴えてきた通りだ。しかし、上の記事が提起するように、もし、首相をはじめとする参拝者に、靖国神社の宗教性を認めようとしない考え方が強いのなら、今回の例大祭をきっかけに、参拝の宗教的意義を考え直すべきだ。

まず、「靖国神社は『宗教』ではない」という考え方は誤っている。靖国神社には現在、戦没者の英霊(約246万6千柱)が主祭神として祀られている。また、明治期を通して、国家神道が日本の信仰の中心となり、それまで魂の救済を担ってきた伝統仏教が後景に退いたという歴史の流れを見ても、明治2年に建立された靖国神社(旧称「東京招魂社」)に、「魂の救済」という使命があるのは当然と言える。

さらに、「首相等の靖国参拝」は、憲法の政教分離規定に違反するものではない。というのも、首相が靖国参拝しようとも、国民の入信、改宗や参拝などの「信教の自由」は、具体的に侵害されていないからだ。逆に懸念すべきは、厳格な政教分離を追求しすぎて、制度が本来守るべき「信教の自由」の価値が失われることだろう。

政教分離に関する行き過ぎた言論を真に受けてはならない。「あの世がある」ということを否定し、「迷える戦没者の魂を天国に導く」という靖国神社の使命を否定したならば、参拝は、一気に軽薄な「パフォーマンス」になりかねない。参拝の際は、日本の誇りを再確認すると同時に、靖国神社の宗教的な意義を踏まえた上で、先人の魂の供養・救済に心から祈りを捧げてもらいたい。

(HS政経塾 森國英和)

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