2014年4月号記事

東日本大震災から3年

安倍首相、前政権による

福島「強制連行」をまだ続けますか?

東日本大震災から3年。原発事故が起きた被災地の福島では、いまだに多くの人々が避難生活を送り、復興が進んでいない。政府やマスコミは、その責任を「高い放射線量」のせいにするが、福島の放射線量は基本的に安全なレベルだ。先の民主党政権による過剰な避難指示が多くの人々の生命や財産を奪った事実に、被災地の人々が気づき始めている。安倍政権は、今こそ前政権の失政にけじめをつけ、被災者が「故郷を取り戻す」ための一歩を踏み出さなければならない。

(編集部 馬場光太郎)

2011年の東日本大震災から3年が経とうとしている。

しかし福島県では、いまだに14万人以上の人々が、苦しい避難生活を送っている。地震や津波で家を失い、やむを得ず避難している人だけではない。 その半数以上が、福島第1原発の事故による放射線被害を防ぐという名目で、政府から強制的に避難生活を強いられているのだ。

「福島の放射線量は、心配に値しないレベルだ」

と、強制避難の前提を疑うのは、同県広野町の小野田洋之・南双葉青年会議所理事長(39歳)だ。沿岸部の復興活動に従事する小野田さんは、こう語る。

「私も最初は、福島の原発事故が世界最大規模だと思っていた。しかし、 チェルノブイリ原発事故(注1)が起きたウクライナを昨年9月に視察し、福島の放射線量があまりに軽微だったことに驚いた

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(注1) 旧ソ連(現・ウクライナ)で1986年4月26日に起きた原子炉暴走・爆発事故。高熱の炉心がむき出しになり、膨大な量の放射性物質が放出された結果、多くの犠牲者が出た。

年100ミリシーベルトで危険性を示すデータはない

NPO法人「つながっぺ南相馬」の今野由喜・理事長。

南相馬市小高区。津波で多くの建物が倒壊したが、20キロ圏内で避難が長期化し、復興が進んでいない。

一般的に放射線が警戒される理由は、人間のDNAを傷つけ、ガンなどの病気を引き起こす可能性が指摘されているためだ。

チェルノブイリ事故の際には、子供たちが甲状腺(注2)に、最大5万ミリシーベルト(注3)もの放射線を浴び、15人がガンで亡くなった。こうしたことが、放射線への恐怖を強めている。しかし、福島の人たちが甲状腺に浴びている放射線は、その1000分の1程度に過ぎない(注4)。

そもそも、少量の放射線は健康に害を及ぼさない。DNAへのダメージ以上に、人間の持つ修復機能が働くからだ。

たとえば、500ミリシーベルトの放射線を「一度」に浴びたときの発がんリスクは、「運動不足」と同じレベルだ。

また、100ミリシーベルトを「一度」に浴びたときの発がんリスクは、「野菜不足」の人程度に過ぎない(注5)。

実は、福島の避難区域には、この程度の低いリスクさえ存在しないのだ。 ほとんどの地域が「年間線量」で20ミリシーベルト以下。線量が高いとされる「帰宅困難地域」ですら、「年間線量」で100ミリシーベルトを越える地域はわずかしかない (注6)。

「年間100ミリシーベルト以下の被ばく線量では、(健康への影響は)他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど小さく、放射線による発がんリスクの明らかな増加を証明することは難しい」(注7)

これは他でもなく、2011年12月当時、政府の作業部会が出した結論だ。

さらに言えば、現在発表されている福島の線量も、実際の何倍も過大に評価されている。

発表されている線量は、屋外に設置された測定器などで測られたもの(空間線量)だが、人々が実際に浴びる線量(個人線量)は、屋内にいる時間などを差し引けば、空間線量の4分の1から10分の1となる(注8)。

その、過大評価された線量でさえ、安全なレベルであることを考えれば、 福島の大部分の地域には、もう帰って構わない。当然「除染」(注9)もほとんど必要ない。

それにも関わらず、当時の民主党政権の菅直人首相は、過剰な避難措置を継続し、多くの人々の生命や財産を奪った。 以下、菅政権の誤りを指摘する。

(注2) 喉仏の下にある臓器。
(注3) 「シーベルト」とは放射線が人体に及ぼす影響の単位。
(注4) 札幌医科大学高田純教授調べ。
(注5) 国立がん研究所「放射線による発がんリスク」。
(注6) 経済産業省「避難指示区域における空間線量から推計した年間積算線量の分布の推移」。
(注7) 内閣官房「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」報告書。
(注8) 札幌医科大学高田純教授、大阪大学中村仁信名誉教授の計算。
(注9) 生活空間で受ける放射線の量を減らすために、放射性物質を取りのぞいたり、土で覆ったりすること。

(1) 原発から20キロ圏内の「避難指示区域」の設定

「同心円状にコンパスで線を引いただけでしょ? なんら合理性がありませんよ」

こう憤るのは、地元の復興の取り組みに力を入れる、NPO法人「つながっぺ南相馬」の今野由喜・理事長(63歳)だ(上写真)。

菅政権は原発事故の直後に、福島第1原発から半径20キロ圏内を「避難指示区域」に設定し、住民を追い出した。圏内には、東京などと変わらない低い線量の地域もあったが、「20キロ圏内」という理由で、一律に人が住めない場所にした。

(2)年20ミリシーベルト以上の「計画的避難区域」の設定

さらに菅政権は、事故から約1カ月後に、原発から20キロ圏外であっても、風向きなどの影響で被ばく線量が年間20ミリシーベルトを超える恐れのある地域を、「計画的避難区域」に設定し、ここからも住民を追い出した。だが先述したように、年間20ミリシーベルトの被ばくでは、健康に害は及ばず、避難はまったく必要ない。

(3)「除染目標1ミリ宣言」

2011年10月、菅政権の細野豪志・環境相(当時)は、「除染は国の責任だ。我々の目標は1ミリ以下にすること」と発言。結果としてこれが、「年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量でなければ危険」という過剰なメッセージとなった。

前出の小野田さんも、こう訴える。

「『1ミリ』は、不可解な数字。あの発言が福島の人々に放射線への恐怖を植えつけ、今でも避難解除の足かせになっている。なぜ1ミリだったのか。細野さんは、住民の前に出て説明するべきだ」

飯舘村の住民が避難する松川第1仮設住宅(福島市)。

避難が奪った1605人の命

避難生活の辛さを語る、仮設住宅の自治会長・木幡一郎さん。

こうした菅政権の無用な避難措置は、福島の人々を助けるどころか、多くの犠牲者を生み続けている。 避難生活の疲労による病気や、ストレスによる自殺などで命を落とす「震災関連死」が、福島県だけでも1605人にのぼり、同県での地震や津波による「直接死」を上回っている (2013年11月末時点)。

震災関連死は、1995年の阪神・淡路大震災で919人、東日本大震災では、岩手県428人、宮城県878人だったが、福島県は突出している。そのうちの多くの人の場合で、避難所生活などによる肉体的、精神的疲労が死につながったという。

今回、記者が取材に訪れた福島市の松川第1仮設住宅には、「計画的避難区域」に指定された同県飯舘村の村民が住んでいた。人々は車でわずか30分ほどの故郷に、3年もの間帰れないでいる。無機質な仮設住宅の中に、身を寄せ合って暮らす人々の姿はあまりに痛々しかった(上写真)。

自治会長の木幡一郎さん(77歳)は、「長年住んできた村には、何としても帰りたい」と語気を強めるが、帰る見通しの立たない日々に、「この精神的苦痛は耐えがたい」ともらした。

被災地の人々の話によると、強制避難によって、長年育まれた家族の絆や地域のコミュニティーも失われた。放射線に関する様々な情報が飛び交い、避難をめぐって家族の意見が分かれ、「原発離婚」が頻発し、その苦しみから自殺する人もいるという。

前出の今野さんは、「長い避難期間で、若い人は県外などの避難先に根を張って戻って来ない。半年ぐらいで避難が解除されれば、そんなことは起きなかったかもしれない」と唇をかむ。

現在、帰宅困難区域になっている双葉郡で農業を営んでいた70代の男性も、「当初は故郷に帰ろうと思っていましたが、帰る見通しが立たない。先月あきらめて、関東に居を構えた」とこぼす。

この他にも被災地では、強制避難によって、多くの家屋や農地が長期間放置され、使い物にならなくなっており、福島県内だけでも3万頭以上の牛やブタ、44万羽の鶏などの家畜が殺処分、あるいは置き去りにされて餓死した。

避難指示は悪質な「強制連行」だった

「避難」というと、いかにも住民の安全を願った措置という印象がある。だが、 菅政権は避難指示や避難勧告によって、福島の人々を故郷から強制的に連れ出し、ストレスのかかる避難生活を強いた。その結果、多くの人々の健康、生命、絆、故郷、仕事、財産、希望を奪った。

これを「全体主義国家の『強制連行』そのものだ」と指摘する識者もいるが、決して言い過ぎではないだろう。

事故当初は仕方がないにしても、放射線量が低いことが分かった事故後、数カ月の段階で避難を解除し、人々を故郷に戻すべきだった。繰り返すが、福島のほとんどの地域は安全なのだ。

だが、避難による犠牲への責任は、あろうことかすべて原発を運営・管理する東京電力に押しつけられ、同社は事故以来、まるで犯罪者でもあるかのような形で、マスコミからも吊るし上げにあっている。

だが、福島原発の放射線の影響で死者は1人も出ていない。やはり、福島で多くの犠牲を出した責任は、菅直人・元首相と、それに同調したマスコミにあると言っていい。

震災後、菅氏が出版した手記には、こうある。

「東日本は放射能という見えない敵によって占領されようとしていた。(中略)いつしか私は、原子炉すべてが制御不能に陥り、首都圏を含む東日本の数千万人が避難する最悪の事態をシミュレーションしていた……」(注10)

つまり、福島の人々の避難は、菅氏の「原発は危険だ」という強迫観念に基づいて行われたものであったと言える。

飯舘村の菅野典雄村長。飯舘村が計画的避難区域に指定された際、国と交渉して、老人ホームや一部企業を村に残した。

飯舘村の菅野典雄村長は本誌の取材に、事故当時の異様な雰囲気を、こう振り返る。

「避難が必要だったとしても、避難に伴うリスクと、放射線から受けるリスクを比較衡量するべきでした。当時は、政府やマスコミも『危ないから避難しろ』と言っておけば、誰からも責められることはなかった。国にも、そのあたりをもう少し考えてほしかった」

そして、こう続ける。

「マスコミは、惨状を過大に報道したほうが、視聴者や読者の興味を引くことができる。科学者の中にも、放射線の脅威を過剰に煽った本を出して、儲けた人がいるはず。彼らはそうした行為が、どれだけ多くの人の不安を煽り、苦しめているか、想像すらしていないだろう」

マスコミは「風評被害」などとして、被災地に同情してみせるが、その実態は「報道被害」である。

「福島県産」というだけで、農作物や魚介類などの食品の価格は下がり、観光業も大きなダメージを受けた。「福島の農産物は危険だと誤解され、いまだに西日本には出回りにくい。農業では生活が成り立たず、帰郷をあきらめる人もいる」(小野田さん)。報道被害という名の風評被害額は1・3兆円に及んでいる(注11)。

菅政権が行った「人道に対する罪」とも言うべき"犯罪"に、多くの日本人はピンときていない。だがその事実を、このまま歴史の闇に葬ることは許されない。

(注10) 『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』。
(注11) 東京電力、経営・財務調査タスクフォース事務局調べ。

復興ビジョンを胸に避難解除を待つ人々

そうした中、福島の人々は、たくましく復興のビジョンを描いている。

前出の飯舘村では、未来に向けて布石を打つべく、村の子供たちを海外に行かせるなどの教育投資を活発化させている。

南双葉青年会議所理事長の小野田さんは、「福島に経済特区をつくり、法人税、固定資産税などを免除し、企業を誘致して、この地域を再生させる」というビジョンを語る。

小野田さんは2013年9月に、チェルノブイリ原発事故の被害を受けたウクライナ・スラブチッチ市を視察。同市は「夢の町」をコンセプトに、事故から2年足らずでニュータウンを建設し、子供が安心して暮らせるよう多くの幼稚園が設置されたり、ガラス装飾や刺繍工場などが整備されたりして、国内でも有数の魅力的な都市になったという。

小野田さんは、「スラブチッチ市のように、住民が帰ってくるのみならず、国際的にも魅力ある地域をつくっていきたい」と意気込む。

福島の人々は、明るい復興ビジョンを胸に、一日も早く故郷に帰れる日を心待ちにしている。

◇      ◇

自民党の安倍政権は、昨年12月、福島復興を加速させるための指針を閣議決定した。だがその中で、福島県民の帰還条件として、民主党政権が定めた「年間20ミリシーベルト以下」という基準を踏襲した。

しかし本来、「帰る・帰らない」は個人の判断に任せられるべきである。「放射線が怖い」という人々に帰還を強要することはできないが、「すぐ帰りたい」という人々に避難を強要するべきではない。

震災から3年の節目に避難の解除に着手しなければ、福島の復興は絶望的になるかもしれない。福島の人々の「故郷を取り戻したい」という願いをかなえるのは今しかない。 安倍政権は民主党政権時代の誤りを明らかにし、避難措置を解除すべきだ。それによって初めて、福島の復興がスタートする。