哲学者アーレントは全体主義の特徴について、強制収容所と粛清だと指摘した。宗教に全体主義的な臭いを感じる人は多いかもしれないが……。

2014年4月号記事

一般には、宗教を信じると、その価値観に縛られ、不自由になるというイメージは根強い。

ITジャーナリストの佐々木俊尚氏は昨年11月、ネット番組で幸福の科学IT伝道局の林洋甫局長と対談した際、こう述べた。

「オウムや統一協会への反発が強い中では、多様性を担保しないと、宗教が広く受け入れられるのは難しいのではないか」

オウムのレベルになると、単に「不自由」なだけではなく、「洗脳される」怖さを感じる人は多い。

古い宗教をとってみても、イスラム教は女性の人権を抑圧したり、国民を「貧しさの平等」の下に押し込めている。中世ヨーロッパの人々は、近代啓蒙思想によって解放されるまで、キリスト教会に縛られていた。

戦前の日本では国家神道を一神教的に立てたため、仏教などその他の宗派が弾圧に遭った。

歴史的に、「宗教は人を不自由にする」というイメージがあってもやむを得ないのかもしれない。

「幸福の科学はナチス」?

かつて一部週刊誌が幸福の科学をナチス・ドイツの全体主義になぞらえた中傷記事を書いたことがある。 大川隆法・幸福の科学総裁が自身について、宗教的にどういう存在なのかを明らかにしていく中で、その内容を曲解したものだった。

大川総裁は、エル・カンターレという地球の至高神の意識の一部が地上に生まれた存在で、釈尊の生まれ変わり、イエスを導いた「天なる父」、イスラム教開祖ムハンマドが霊示を受けたアラーであると説いた。その週刊誌は、「イスラム教や中世のキリスト教に輪をかけて自由を奪うのか」と受け止めたのだろう。

そもそも全体主義とは、どのようなものなのか。『全体主義の起原』を書いたドイツ出身の哲学者アーレントは、「収容所における絶対的テロル(粛清)」が特徴だと指摘した。独裁者の命令で、特別警察が政府に反対する者を捕まえ、強制収容所に入れ、殺してしまうのが全体主義だ。

ナチスのユダヤ人虐殺やソ連のスターリンによる大粛清など人類的な惨劇と一宗教を結びつけるのは荒唐無稽だが、大川総裁自身は、全体主義に関連してこう述べている。 「政治哲学的に見ると、ヒトラー的な考え方には極めて対抗する遺伝子を持っているのです」 (法話「政治哲学の原点」)

マスコミの“洗脳"を解く

実際、幸福の科学は、全体主義的なものと戦い続けてきた。

国民の考えを一方向に染め上げる点では、日本のマスコミには全体主義的傾向が強いが、それに一貫して批判を向けてきた。

たとえば、3年前の原発事故で福島は放射能汚染でもう住めないかのような報道があふれたが、科学的な調査を踏まえ、事故後1カ月ほどで「福島は安全だ」と主張した(P. 50参照)。

また、日本のどのマスコミも、政府が“ゆりかごから墓場まで"国民の面倒を見るのは絶対的な善という立場に立っている。しかし本来、そうした福祉を担うのは家族や親類であり、あるいは企業家が雇用を生んだり篤志家が寄付すべきものだ。むしろ、そのほうが政府に“おねだり"する立場から国民を解放すると本誌でも訴えてきた。

今、マスコミの“洗脳"から自由になるためには、宗教を信じる必要があるという逆説が生まれている。

あの世も含めた民主主義

大川総裁は、幸福の科学の自由な価値観をこう説明している。

「『一人ひとりが、尊い光を宿した存在なのだ。その、尊い光を宿した存在が、自分の魂の傾向性に合わせた自己実現をしていくところに、ユートピアが生まれてくるのだ』という意味での『自由の哲学』が基本にあるのです」 (『幸福の科学学園の未来型教育』)

「人はそれぞれ個性や人生の目的・使命を持っており、そうした多様な人たちが磨き合いながら魂として成長していく」という民主主義的な価値観が幸福の科学のベースにはある。

その中で互いに矛盾・対立することもあるが、智慧を働かせ、新しいものを生み出しながら繁栄する社会をつくろうという考え方だ。

大川総裁はこれをさらに徹底して、「あの世も含めた民主主義」にまで広げている。これまで500人以上の偉人の霊などの言葉を収録した霊言シリーズがそれだ。 あの世の如来や菩薩といった神格を持った存在でも、異なった意見を持っており、主張をぶつけ合っている状態だ。

もともと日本の政治は、高天原の八百万の神々の話し合いから始まった。西洋の民主主義の源流であるギリシャ民主政もデルフォイの神託と共存していた。こうした神々の理想を地上に降ろす祭政一致の政治が今、復活しようとしているのだ。

前出の哲学者アーレントは著書『政治とは何か』の中で、「政治は人間の複数性(プルラリティ)という事実に基づいている」と述べたが、大川総裁は、「神々の民主主義」によって複数性の幅を広げている。

全体主義の中国と一神教に自由の風を

イスラム教やキリスト教の非寛容さをどうやったら克服できるのか。アフガン戦争はまさに宗教戦争だ。

写真:ロイター/ アフロ

プルラリティを大切にする考え方から最も遠いのは、やはり現代の共産中国だろう。13億人の国民が信教の自由のない状態に置かれ、習近平氏が国家主席になってからは、政府公認のキリスト教会でも、「法秩序に反した」として宗教指導者が多数拘束されるようになった。1960年代後半からの文化大革命当時も、同様の宗教弾圧が横行した。宗教を徹底排除すれば「人間は物か機械」でしかなくなり、その結果が数千万人もの死骸の山だった。

幸福の科学が中国の現体制を厳しく批判するのは、このままでは自由が消え去り、中国国民一人ひとりがその魂の個性に合わせた自己実現ができなくなるためだ。

一方、一神教であるキリスト教やイスラム教も、プルラリティを認めない非寛容な体質がある。突き詰めれば、「他の宗教は偽物だ」として相手を滅ぼすところまでいきかねない。幸福の科学は、この一神教同士の対立を解きほぐそうとしている。カギは先に述べた「至高神」信仰だ。

至高神エル・カンターレの下では、どの世界宗教も偽物にならない。それぞれの良さを発揮して切磋琢磨を促す立場だ。その宗教が人々を幸福にできる分だけ広がればいいわけで、これも一つの「神々の民主主義」だろう。イラク戦争やアフガン戦争のような「宗教戦争」に比べて、どれほど文明的だろうか。

幸福の科学は、全体主義の中国にも一神教の世界宗教にも、自由の風を吹かせようとしている。

全体主義をなくすスピリット

大川総裁による霊言シリーズには、共産主義を説いたマルクスやナチスのヒトラー、大粛清を実行したソ連のスターリン、今の中国の改革開放路線を敷いたトウ小平なども登場している。この全体主義国家の“代表選手"たちが、いずれも地獄にいることが明らかになった。

死後、地獄に行くということは、他人を害したり犠牲にする形での自己実現の人生だったことを意味している。そのためたとえばマルクスは、あの世の他の霊や地上人に影響を与えないよう、地獄の最深部で繭らしきものにくるまれ、隔離されている。

どんな生き方が天国・地獄を分けるのか、この霊言シリーズを通して理解することができる。そのケーススタディが積み重なり、普遍的な法則性が検証され続けている。

これは、「法律を守っていれば、あとは自由で構わない」という20世紀の経済学者・哲学者ハイエクの「自由の哲学」に極めて近いもの。「法則」に従うよう努力し、この世で他人を害さない自己実現ができれば、マルクスのようなあの世での極端な「不自由」は避けられる。

宗教を信じると、不自由になるのか。あるいは、幸福の科学はナチス・ドイツのような組織なのか――。その対極である。深く信じるほど、この世でもあの世でも自由になる。

全体主義的なものを地上からなくそうとしているのが、幸福の科学のスピリットであり、行動原理だ。

(綾織次郎)