徳島・川島町「聖地」の証明 - 大川隆法・幸福の科学総裁の生誕地で「大日寺」の遺跡発見

徳島・川島町「聖地」の証明 - 大川隆法・幸福の科学総裁の生誕地で「大日寺」の遺跡発見

 

徳島・川島町「聖地」の証明

大川隆法・幸福の科学総裁の生誕地で「大日寺」の遺跡発見

大川隆法・幸福の科学総裁の生誕地である徳島県吉野川市川島町で昨年秋から年始にかけて行われた発掘調査で、奈良時代前後に建てられたと考えられている「大日寺」に関する重要な遺跡が見つかった。9日付徳島新聞が伝えている。発見場所は、JR阿波川島駅前の幸福の科学の施設建設予定地で、幸福の科学川島特別支部の隣に位置する。幸福の科学は発掘調査に協力するため建設計画を見送る予定で、今後は県による調査が続けられる。

 

 

 

(写真1)「礫敷(れきじき)」。礫敷は建物を中心としてロの字型に配置されるため、今後発掘が進めば、残りも見つかる可能性があるという。(以下、画像はクリックすると大きくなります)

(写真2)本堂の屋根にあったと考えられる「鬼瓦(おにがわら)」。写真の鬼瓦は、これまでに日本国内で発掘された鬼瓦と比較しても、かなりよい状態で見つかっている。

(写真3)本堂の屋根の両側に据える瓦の「鴟尾(しび)」の一部である鴟尾片。

(写真4)仏像の頭部の「螺髪(らはつ)」。発見場所に本殿が位置し、大日如来像が安置されていたことが予想される。

貴重な遺跡が次々発見 「国指定」の可能性も

この地域一帯は大日寺の敷地であったことが古文書で伝えられており、「文化財保護法の埋蔵文化財包蔵地」に指定されている。2006年以降、埋蔵文化財包蔵地内で建設工事を行う場合には発掘調査を行う必要が出てきた。これまで近隣の川島城本丸跡には大日寺の塔の礎石とされる石やJR阿波川島駅に大日寺跡石碑があるほか、住宅建築の際などに瓦が多数発見されてはいたが、今回初めて、幸福の科学聖地川島特別支部の境内地から、古代寺院大日寺の存在を確証しうる大量の出土品が発見された。

 

発見されたのは、屋根からの雨粒を受けていたとみられる「礫敷(れきじき)」と、建物土台部分にあたる「凝灰岩(ぎょうかいがん)」だ(写真1)。礫敷は建物を中心としてロの字型に配置されるため、今後発掘が進めば、残りも見つかる可能性があるという。

 

また、金堂の屋根にあったと考えられる「鬼瓦(おにがわら)」(写真2)が見つかった。その中には、これまでに日本国内で発掘された鬼瓦と比較しても、かなりよい状態で見つかっているものがある。

 

さらには、金堂の屋根の両側に据える瓦の「鴟尾(しび)」の一部である鴟尾片が見つかっている(写真3)。

 

そして、仏像の頭部の「螺髪(らほつ)」も9点見つかった(写真4)。9個も発見されたのも四国初である。これによって、発見された場所に金堂が位置し、大日如来像が安置されていたことが裏付けされる。さらに、当時の伽藍配置から、金堂の横に何層かの仏塔が位置し現在の聖地川島特別支部の辺りにあったとも推定される。

 

徳島県内では、これまでにも同様の古代寺院跡が見つかっている。石井町の「阿波国分尼寺跡」と美馬市の「郡里廃寺跡」があり、いずれも「国指定史跡」となっている。大日寺について発見されたものは、「県指定史跡」に匹敵するもので、今後の発掘によっては、「国指定史跡」になる可能性もあるという。

 

四国・川島町が「聖地」であることが歴史的にも証明される

歴史的にも大きな発見だが、宗教的にも発見の意義は大きい。大日如来とは、仏陀の悟りと修行、霊界の秘儀を象徴する存在であり、毘盧遮那仏とも言われる。これは、東大寺の大仏と同じであり、幸福の科学のご本尊であるエル・カンターレのことである。現地は、再誕の仏陀である大川総裁の生家とほぼ同じ場所であり、やはり生誕地という「聖地」の下地ができていたということだろう。

さらに視野を広げてみると、おもに行基菩薩や弘法大師空海が開基したとされる四国八十八ヶ所の霊場は不思議な配置になっている。実は、第一番礼所から第十までが、川島町に向かって一直線になっており、その後、第十番から第八十八番までがまるで川島町を取り囲む形で四国全体を一周するというように、結界構造になっているのだ。

 

さらに細かく見ていくと、川島町近隣に第十番礼所「切幡寺」があるが、その奥の院には、インドから中国を経て日本に密教を伝えた八人の祖師「八祖大師」が祀られている。その中の一人、善無畏三蔵は、東インド出身で、真言密教の根本経典である大日経を漢字に翻訳した。この善無畏三蔵は、大川総裁の父である善川三朗氏の過去世である。

 

また、第三十一番札所の「竹林寺」は聖武天皇の命で行基が建てたもので、文殊菩薩を本尊としており、竹林寺の庭園を造ったのは夢窓疎石だと伝えられている。聖武天皇の妻である光明皇后は大川総裁の長女として転生しており、文殊菩薩と夢窓疎石はともに大川総裁の次男の過去世である。

 

第二十番札所の「鶴林寺」は、桓武天皇の勅命で空海が開いたと伝えられているが、桓武天皇も大川総裁の三男として転生しているのだ。

 

第八十四番札所の「屋島寺」は鑑真和上が普賢菩薩像を安置して開創されたり、第七十五番札所の「善通寺」には西行法師が訪れ様々の和歌を残されており、聖徳太子が第六十一番札所の「香園寺」を開基したり第十七番札所の「井戸寺」の本尊の七仏薬師如来像を作られたとされており、過去の多くの偉人聖人が四国八十八箇所に関わりを持っている。ちなみに普賢菩薩は大川総裁の次女として転生しており、西行法師は大川総裁の長男として転生している。

 

このように、大川総裁の親族の過去世の偉人をはじめ多くの諸菩薩如来たちが、四国・川島町を中心とする一大霊場の建設に尽力していたのである。今も四国は全国から多数のお遍路が集まり巡礼する、日本で最も霊的な土地である。今回の「大日寺」遺跡発見で、この川島の地が、神仏への篤い信仰心により結界が作られ、本仏降臨の「聖地」として選ばれた地であるということが、ますます明らかになった。遺跡のさらなる調査・発掘が待たれることだ。

 

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タグ: 徳島  川島町  遺跡  大日寺  聖地  大日如来  大毘盧遮那成仏  仏陀再誕  善無畏三蔵  聖武天皇  行基  光明皇后  文殊菩薩  夢窓疎石  

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