過去の医療過誤事件における裁判の判決について、事件が起こった地元「コロラド・インディペンデンス紙」の記者が改めて問いかけたところ、アメリカのネット上で注目されている。

2006年にアメリカのコロラド州で、肺塞栓症の女性が病院に運び込まれたが、心臓麻痺を起こして間もなく亡くなった。同時に彼女の胎内にいた妊娠7カ月の双子も助からなかった。

それに対して、女性の死は防ぎきれなかったことは仕方がないとしても、「胎児の命を救えなかったのは救命に当たった医師の怠慢ではなかったのか」と亡くなった女性の夫が病院を相手どって訴訟を起こした。

コロラド州の裁判所は「まだ生まれていない胎児は"人"と認められないので人権はない。よって医師の責任は問えない」との判決を下した。

その後の議論の経過が、宗教に無関心な日本では考えられないものなのである。実は、その女性が救急搬送されたのが、全米で非営利の医療施設を展開しているカトリック系の病院だったからだ。

夫側が「カトリックの教義では、胎児も人であると定めているはず」と反論し、地元のカトリック教会の司教たちまでが巻きこまれて、「係争中の案件について現時点では明言できないが、確かにカトリックでは、受胎の瞬間から死の瞬間まで、人としての尊厳が守られるべきだと説いている。遺族のために、病院側にカトリックの教えに忠実な対応を誓わせるよう約束する」と声明を出す騒動に発展した。

産児制限や人工中絶を防ぐために強く主張されている「胎児も人」の教義が、病院側にとっては裏目に出たということだろうか。

アメリカの裁判で「生命や人権の定義」に関して、宗教の教義や倫理観を基礎に置いて議論をしようとすることは、日本でも見習うべき面がある。しかし、伝統的なキリスト教は、人間の生命について霊的な視点や正しい知識が不足しているために、不毛な論争に陥ってしまうことも否定できない。

幸福の科学は、「人間存在の本質である魂は永遠不滅であり、何度も転生輪廻を繰り返して魂修行をしている。地上に生まれ変わって来るときは親となる人と約束をし、母親の胎内に誕生した肉体に、およそ妊娠9週目くらいに魂が宿る」という、生まれ変わりの真実を説いている。つまり、前述の事例の「妊娠7カ月」では、すでに胎児には魂が宿っていたことになる。

突然の母親の死によって、宿っていた新しい生命も生まれることができなかったことは悲劇であり残念なことであるが、本当に議論されなければならないのは、亡くなった胎児の「人権の有無」ではなく、亡くなった人たちの魂が再びチャンスを得て地上に生まれ変わってこられるよう天国に還るための「魂のケア」が、医療の現場にも必要だということだろう。(宮)

【関連記事】

2012年4月号記事 キリスト教に足りない霊的知識

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3869