「民主主義」の奥にあるものとは?

「民主主義」の奥にあるものとは?

(『国家の気概』第2章「リーダーに求められること」より一部抜粋・編集。2008年11月1日収録)

 

中国には「信教の自由」が必要である

 今、私は、「戦前・戦中・戦後を通して、日本や諸外国の持っている『カルマの部分』を清算しつつ、新しい未来をつくっていきたい」と考えています。

 中国問題等については、「日本は中国でひどいことをした」と、一方的に報道されることも多いのですが、台湾型の政治が中国本土で主導権を握っていたら、中国の人たちは、早い時期から発展・繁栄を享受でき、自由も得られていたはずです。

 実は、日本が負けたために、やがて中国では共産党による革命が起き、毛沢東が権力を握ることになりました。その結果、中国の人々は、何十年もの間、苦しみを味わうことになったのです。「毛沢東の時代に、殺されたり餓死したりした人は、おそらく六千万人から七千万人はいるだろう」と言われていて、第二次世界大戦で亡くなった中国人の数を遙かに超えています。唯物論の独裁国家は、それほど怖いものなのです。

 今、私は、中国に対しては思想的な戦いを挑んでいます。

 「信教の自由」がないところには「言論の自由」もありません。

 信教の自由は、「内心の自由」と非常に関係しており、最後は「心のなかで何を信じるか」ということの自由なのです。この信教の自由が先です。まず「信教の自由」があって、「信仰告白の自由」があり、その次に「言論・出版の自由」が出てくるわけです。

 「信教の自由」がないようなら、ほかの自由もありえません。したがって、信教の自由は、人間にとって非常に大事なものなのです。

 世界の多くの国々で「民主主義のほうがよい」と言われていますが、「人間は神の子、仏の子である」という事実があるからこそ、民主主義は素晴らしいもの、立派なものになります。

 人間が単なる“物”であり“機械”であるならば、人間は尊い存在ではありません。物が集まっているだけ、機械が集まっているだけであれば、民主主義もまったく尊くありません。「神の子、仏の子」であるからこそ尊いのです。

 実は、「信教の自由」と民主主義はつながっています。本当は、民主主義を守るために、「信教の自由」や「言論の自由」等があるのです。

 今、中国でも私の著書の中国語訳が次々と出版されていますが、中国本土に新しい宗教の波を押し寄せていきたいと思っています。一方、台湾のほうには幸福の科学の教えがすでに広がっています。

 

国家の気概 -日本の繁栄を守るために
大川隆法著
幸福の科学出版刊
1,680円(税込)

幸福の科学出版へはこちら

 
 

 

 

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タグ: 国家の気概  信教の自由  言論の自由  中国  

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