(『この国を守り抜け』第5章「宗教の復活」より抜粋・編集。2010年10月11日収録)

私は、世界を「平和と繁栄」に導くために発言している

今、私たちは、静かな革命を起こしています。日本においても、それから、近隣諸国においても、アジア・アフリカ、ヨーロッパやアメリカにおいても、静かな革命を起こしています。「仏法真理」という名の真理を浸透させることによって、現代の「常識」を緩やかに引っ繰り返しつつあるのです。

私たちは、この世界を本来の姿に戻そうとしています。「この地球を、この世界を、導いていこうとするものがあり、導いていこうする方向があるのだ」ということを明示しようとしているのです。

どうか、中国の人々よ、大川隆法の言うことを聞いてください。

私は、日本の利益のためだけに言っているのではありません。中国やアジア・アフリカの人たち、また、ヨーロッパやアメリカの人たちのためにも言っているのです。

世界を、「平和と繁栄」の方向に導きたいのです。

「世界は、新しい強大な軍事国家や“チンギス・ハンの再来”など必要としていない」ということを述べたいのです。

したがって、中国には、もう、軍備拡張や覇権主義をやめていただきたい。これからは、もう少し、民主主義的な考え方を、統治の原理、政治の原理として入れていただきたいのです。

そして、多元的な価値観を受け入れ、政府を批判する者をも許すような、大国の条件を備えて、日本とも対等に話ができるような国になろうではありませんか。

もう、戦争などない時代をつくりたいのです。このままであれば、必ず反作用が起きます。核兵器を持った大国が、その武力を背景にして、資源争奪のために、アジア・アフリカ諸国に圧力をかけ、ヨーロッパやアメリカに対しても、経済的な支配を強めようとしていけば、必ず「何か」が起きます。

今、ロシア、北朝鮮、中国、イランといった国々がまとまることによって、新しい火種が起きようとしています。第三次世界大戦の芽になるものが、今、できようとしているのです。

これは、何としても防がなくてはなりません。

私は、中国に、軍備拡張や覇権主義をやめる方向へ、また、周りの国への、核兵器による威嚇等をやめる方向へ、大きく舵を取ることを、世界に対して発表していただきたいのです。それは、中国の国民のためにもなることだと思います。

日本は、「他国を侵略してはならない」と言うべき立場にある

もし、中国が、そうしないのであれば、日本は、アジア世界の国々を守るためにも、もっと自立した国家になる必要があります。

そして、国民を弾圧し、他国を侵略しようとする国家に対しては、やはり、「憲法九条の適用の対象外とする」という判断をせざるをえないと思うのです。

私は、そういう方向に、世界を導きたくはありません。

しかし、今、出ている予言書は、未来に対する非常に厳しい警告を、次から次へと発しています(『エドガー・ケイシーの未来リーディング』『人類に未来はあるのか』〔共に幸福の科学出版刊〕、『世界の潮流はこうなる』〔幸福実現党刊〕参照)。

その警告が正しかったことが、この一、二カ月で、明らかになってきました。来年以降は、もっとはっきりしてくるはずです。

ただ、民主党政権は、この危機を十分に理解していません。

二〇一〇年九月に行われた民主党の代表選において、菅氏と小沢氏は約二週間も論戦をしましたが、そのなかに、外交に関する議論など、ほとんどありませんでした。彼らは、完全に逃げていたのです。なぜなら、そうした議論をすると、自分たちが責められるようなことが出てくるからです。

また、日本の経済界は、自分たちの利益を大きくするために、ただただ、中国との経済取り引きの規模拡大を考えているかもしれません。

しかし、ノルウェーのノーベル賞委員会の意見と同様に、「そうした経済的利益のために、正しさをねじ曲げてはならない」ということを、はっきり確認しなければいけないと思います。

その意味において、「正しいことは正しい」と言い続けねばなりません。また、日本も、万一のときには、アジア・アフリカの防波堤になるべく、きっちりとした主張をしなければならないと思うのです。

「かつての日本は侵略国家であった」という意見もあります。そうかもしれません。しかし、もし、「中国は、侵略された国家である」と言うならば、むしろ、「自分たちこそ、侵略しない。侵略国家にはならない」ということを、中国は宣言すべきなのではないでしょうか。

また、日本の過去について言えば、いわゆる「謝罪外交」が数多くあったことも事実でしょう。

しかし、先の大戦において、日本が、少なくとも三百万人以上の尊い犠牲者を出したことによって、ヨーロッパの植民地となっていたアジア・アフリカ諸国は、独立できたのです。

これが、ねじ曲げることのできない事実であることは、日本人として言わなければならないと思います。

「黄色人種は、白色人種に絶対に勝てない」という“白人優越神話”があったために支配され続けていたアジア・アフリカ諸国が、日本が戦うことによって独立できるようになったのです。

ただ、その次には、「黄色人種でも、帝国主義によって、他の国を支配できる」というようなことがあってはなりません。

日本が、本当に過去を反省するのならば、その反省の上に立って、「同じようなことをしてはならない」と言うべき立場にあると思います。

宗教なくして、「言論・出版・表現・行動の自由」は守れない

北朝鮮も、核武装などはもうやめて、早く、韓国と仲良く交渉できるような平和国家になってほしいと思います。

北朝鮮の三代目に決まった金正恩氏は、二十代の若者ですが、「お忍びで、東京ディズニーランドに来ていた」というではありませんか。来たかったら、堂々と来れるような国にすればよいのです。

ディズニーランドぐらい、いつでも来させてあげます。日本は、不当に逮捕したり、死刑にしたりしません。きちんと来れるようにしますから、国の態度を変えなさい。平和的な国家として、友好的に付き合えるようにすればよいのです。

また、今、日本のビジネスマンは、中国を怖がっています。ポケットのなかに、こっそり麻薬を入れられ、「麻薬密輸をした」と言われたら、死刑にされることになっているからです。

左翼を批判している日本の人たちも、中国に行くと、あっという間に公安に逮捕されるおそれがあるので、怖がっています。どうか、「言論の自由」を守ってください。

そして、この「言論の自由」のもとにあるのは、「信教の自由」です。信教の自由から、そういう「言論の自由」や「出版の自由」、「表現の自由」、「行動の自由」が生まれているのです。

実は、この「信教の自由」を認めないということは、「心のなかで神仏を信じる自由」さえない、つまり、「内心の自由」(心のなかで何を思うかの自由)すら認めないということになるのです。

心のなかで神仏を信じることさえできない国が、どうして、「言論の自由」や「出版の自由」、「表現の自由」、「行動の自由」を守ることができるでしょうか。それは、やはり、「いかがわしいもの」でしかないと思うのです。

結局、私が述べたいのは、このことです。これが、「宗教の復活が必要である」ということの意味だと思うのです。

したがって、私は戦いをやめません。「全世界に、この幸福の科学の仏法真理を広げたい」と強く強く願うものです。

全国および世界各国の読者のみなさん、どうか、私の本心を理解してください。

私は、ワールド・ティーチャーとして、世界の未来を拓くために、「正しいことは正しい」と言い続けます。批判するなら、それでも結構です。

しかし、私は決して信念を曲げません。それが幸福の科学です。

私たちの考えに賛同してくれる人が増えることを、心より願います。