2011年10月号記事

──戦後憲法学の泰斗・宮沢俊義霊は何を目指す?

なぜ朝日系メディアは民主党を徹底して支援するのか。その背後にある霊的存在が大川隆法・幸福の科学総裁のリーディングで明らかになった。「朝日や岩波は、私が指導し、『守護神』として守っているからな」と語るその霊は、戦後憲法学の泰斗だった。

菅直人首相がようやく退陣することになったが、民主党政権は連立の形であれ、続くことになる。

09年の衆院選で民主党政権を誕生させるのに大きな力を発揮したのが朝日新聞をはじめとする「左翼メディア」とされる。その蜜月ぶりは今も続いており、菅首相が「脱原発依存」を表明する7月13日の朝刊で朝日新聞は「提言 原発ゼロ社会」と題した社説特集を掲載。また8月初めに週刊朝日が菅首相に対する異例の単独インタビューを載せた。

なぜこれほどまでに朝日系メディアは、民主党とガッチリ手を握るのか。

「朝日」をあの世から導く戦後憲法学の祖

その“深層”が、このほど発刊された大川隆法著『現代の法難(4) 朝日ジャーナリズムの「守護神」に迫る』で明らかになった。

詳細は同書を読んでいただきたいが、朝日新聞や週刊朝日の幹部にあの世から影響を与えている霊を大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁が呼び出したところ、戦後憲法学の祖である宮沢俊義・東京大学名誉教授(写真)の霊が現れたのだ。

宮沢氏は、戦前から戦後にかけて東大法学部憲法担当教授を務めた。占領下では「八月革命説」を唱え、連合国軍総司令部(GHQ)が作った憲法の正当性を擁護した人物だ。

宮沢氏の霊は現憲法について、「指一本触れてほしくないのよ」「民主党政権が続くかぎり、憲法改正はありえないんだよ」「憲法を護るためには、民主党を守らなきゃいけないんだよ」などと力説した。

さらには「『私の憲法学が間違っていた』というようなことは、歴史上、許されない判定です」と、解釈変更も許さないと強調した。

では、宮沢氏の戦後憲法の解釈とはどういうものなのか。

180度変節しGHQ憲法を擁護

「八月革命説」で宮沢氏は、米国などが日本に降伏を求めた「ポツダム宣言」受諾によって、天皇から国民に主権が移る革命が起きたと主張した。同宣言は「日本国民の意思によって政治のあり方を決められる」という趣旨を述べており、主権者の国民が新憲法を制定したから、GHQの強制ではないというわけだ。

もともと宮沢氏は1945年の終戦直後、「明治憲法のままでいい」という立場だった。それが翌46年2月、明治憲法を全面的に書き換えるGHQ作成の憲法草案が日本側に示されると、同年4月、「八月革命説」を発表し、GHQの強力な代弁者となった。つまり180度の変節を見せたのだ。

憲法学者や法学者で、宮沢氏に同調しなかった人たちも多かった。当時、枢密顧問官だった宮沢氏の恩師、美濃部達吉氏は枢密院での憲法改正案の採決の際、反対票を投じた。枢密院議長だった憲法学者の清水澄氏は新憲法施行後の47年9月、熱海で投身し、帝国憲法に殉じた。

宮沢氏の態度の急変について、米国の占領政策を研究した文芸評論家の江藤淳氏は、「一つの人格が崩壊して別の人格が誕生した」とまで書いている(注1)。おそらくは「公職追放になるぞ」というようなGHQからの“圧力”に屈したということなのだろう。

「神々を政治から追放する」

ただ問題は、東大法学部憲法講座の教授の変節は戦後、深刻な影響を及ぼしたことにある。

宮沢氏は八月革命説を華々しく打ち出した雑誌「世界文化」46年5月号で、こう述べている。

「日本の政治は神から解放された。あるいは神が―というよりは神々が―日本の政治から追放せられたといってもよかろう」

同氏が書いた憲法テキストではこうも述べた。

「神勅主権を否定するとは、つまり、政治から神々を追放することであり、政治を宗教から独立させることである」(注2)

神勅主権とは戦前の「天皇主権」で、天皇をトップとする国家神道を追放したということを宮沢氏は言っている。

しかし“ターゲット”は国家神道にとどまらない。

「宗教は、公権力とまったく無縁であり、純然たる『わたくしごと』とされる」(注3)

憲法20条3項の政教分離規定(注4)も含めた解釈だが、宮沢氏は国家神道だけでなく、宗教全般を国家から完全に“絶縁”させなければならないと、主張したのだ。

さらには、国家が宗教全般を優遇することは、無宗教の人たちを抑圧するとまで述べている(注5)。つまり、「無神論者、唯物論者の権利を積極的に守らなければならない」という考え方を戦後憲法学の中に打ち立てたことになる。

戦後無神論の風潮の出発点が宮沢氏

宮沢氏は「政治から神々を追放した」だけでなく、人権の解釈からも神を追い出した。

「今日多くの国では、もはや特に神や、自然法をもち出す必要はなく、『人間性』とか、『人間の尊厳』とかによってそれを根拠づけることでじゅうぶんだと考えている」(注5)

1779年のアメリカ独立宣言に見られるように、人間の権利は、「造物主によって与えられた奪いがたい天賦の権利」であることが世界的な常識だ。それを「神は必要ない。人間が人間であるから尊い」と切って捨てている。

「神々の追放」の結果、戦後、公立学校では宗教に基本的に一切触れないようになった。行政も宗教との関わりを断ってきたため、東日本大震災の被災地では、自治体の施設や行事では、僧侶ら宗教者による慰霊・鎮魂が行えない異常な事態が起こっている。

「国の機関」でもないのに、新聞やテレビは宗教を肯定的には取り上げない暗黙の了解がある。

これらが国民の無神論・唯物論の傾向を助長しているわけだが、その出発点は、宮沢氏の1946年の変節にあったのだ。

「憲法は宗教に代わる戦後日本の基本教義」

宮沢氏の憲法解釈の特徴としてもう一つ、徹底した平和主義がある。

「八月革命説」を発表したほぼ同じ時期、月刊誌の論文で「日本は丸裸になって出直すべき」と書いた。日本は真の平和国家の理想を追求し、「永久に全く軍備を持たぬ国家として立っていくのだという大方針を確立する覚悟が必要」だというのだ(注6)。

こうした宮沢氏の学説は、東大法学部憲法講座の担当教授に受け継がれていった。

宮沢氏の一番弟子は芦部信喜東大名誉教授。同氏が著した『憲法』(岩波書店)は、司法試験や公務員試験の受験者は必ず勉強する基本テキストだ。

この中で芦部氏は「八月革命説」を支持し、人権の根拠も宮沢説を継承し、平和主義についても他国に「比類のない徹底した戦争否定の態度を打ち出している」と評価した。

政教分離については、「国家と宗教とのかかわり合いを一切排除するものと考えるのは適当ではない」としつつも、宮沢氏の「政治からの神々の追放」の枠組みは忠実に守っている。

全国の多くの大学の憲法学教授は、東大法学部出身者が占め、宮沢氏や芦部氏の学説が通説として大学で教えられている。裁判官や検察官、弁護士、国家公務員、地方公務員は、宮沢氏や芦部氏の憲法テキストを丁寧に学び、その枠内で司法判断や行政が執り行われる。マスコミ人の判断もそれに準じている。

この結果が、公の場から宗教を追い出し、日本は非武装の「丸裸」でやっていくべきだと考える風潮を生み出している。

『現代の法難(4) 朝日ジャーナリズムの「守護神」に迫る』で、宮沢氏の霊は、「憲法ははっきり言って、もう、宗教に代わるものなんだ。戦後、日本国の基本教義は、憲法なんだよ」「実は、本当の御本尊は私なんだよ。ええ。私が御本尊です」と語った。そう言うだけの“実績”を残したことは間違いない。

宮沢俊義霊が目指す中国による日本の属国化

一方で宮沢霊は、大川隆法総裁の書籍や幸福実現党の主張、その他の発刊物が「私がつくった戦後日本の憲法民主主義体制に挑戦してきている」と、幸福の科学グループへの警戒感をあらわにした。

大川総裁は09年6月、新・日本国憲法試案を発表した。その前文はこううたっている。

「われら日本国国民は、神仏の心を心とし、日本と地球すべての平和と発展・繁栄を目指し、神の子、仏の子としての本質を人間の尊厳の根拠と定め、ここに新・日本国憲法を制定する。」

国民が宗教心を持ち、宗教が積極的に国家、社会影響を与えることはよいことだという立場を明確に打ち出した。

国防に関しては、同じく憲法試案で「防衛軍の組織」を明記し、憲法改正までは9条の解釈変更で中国や北朝鮮の脅威を抑止すべきだという立場をとっている。つまり、中国や北朝鮮が、現憲法前文の言う「平和を愛する諸国民」と言えない場合、戦力不保持などをうたった憲法9条の適用を両国に対しては見送るという考え方だ。

これらは、ことごとく宮沢憲法学の根幹を突き崩すもので、戦後憲法体制の変革を迫っている。

宮沢霊は、日本の首相が選ばれたら、北京政府から「日本国国王を命ず」と承認してもらう冊封体制でいい、という主張だった。

宮沢氏の霊が“指導”する朝日ジャーナリズムと、その支援を受ける民主党政権が行き着く先は、「中国による日本の属国化」ということが明らかになったのだ。

そのことを幸福実現党は09年の立党以来主張し、本紙でも毎号訴えているが、「神々の追放」の壁の前に跳ね返されがちなのが現状だ。

結局は、国民に「このままでは日本は中国の支配の下に入る」ことを気づいてもらうかどうかにかかっている。本誌として、その努力を続けるしか道はない。 (本誌編集長 綾織次郎)

(注1)『占領史録3』(講談社学術文庫)巻末の解説。(注2)宮沢俊義著『憲法』(有斐閣全書)
(注3)宮沢俊義著『憲法講話』(岩波新書)
(注4)「国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教活動もしてはならない」(注5)宮沢俊義著『憲法Ⅱ』(有斐閣)