2011年6月号記事

震災復興への歩みが始まるなか

この世を去った人の魂は

そして遺された人々の心は今

奈辺にあるのだろうか。

被災された方たちの心象は

察するに余りある。

しかし

大切な人を亡くした人に

どうしても

知ってほしい真実がある。

(編集部・近藤雅之)

「あの時荷物などに目をくれずに、私と一緒に逃げたなら、こうなるものでもなかったでしょうに(中略)、私共を逃がした後、一人逃げおくれて死ぬ其時の夫の心持はどんなであったでしょう。などと思いつづけては不覚の涙に呉れました」

これは、1923年の関東大震災で被災した松本ノブさんの手記の一部だ(古今書院刊『手記で読む関東大震災』)。突然の災害で大切な人を失ったときの無念さは、時代が変わっても重なるものがあるのだろう。

今回の東日本大震災では、死者・行方不明者が2万7千人を越えた。1カ月以上が経った今、ライフラインの復旧から仮設住宅の建設、学校授業の再開、雇用支援など、被災地では徐々に復興が進んでいる。

だが、その一方で、大切な人を亡くした人たちは今後、どのように生きてゆくことになるのだろうか。

大阪府から派遣されて被災地支援にあたった医師、看護師らによって4月15日に大阪赤十字会館で開かれた報告会では、「今は地域で支え合おうという雰囲気があるが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が長期に渡ることが考えられるため、継続的な精神的ケアが必要」「カウンセリングの基本は共感。今回の災害はあまりに大きいため、ひたすら傾聴することが大切」などの意見が出された。

心のケアについては、精神科医などが各メディアで「被災者の心の症状をよく理解し、できるだけそばにいてあげること」「安易な慰めではなく、被災者の自尊心を尊重すること」などを提案している。

周囲の人に話を聞いてもらうことで心が安らぐ面はあるだろう。ただ、自らの人生を襲った悲劇は一人ひとりの現実であり、被災者は今後、それと向き合っていくことになる。誰もその立場そのものを代わることはできない。

しかし、悲しみや絶望、喪失感の底に打ち沈む前に、どうしても知っておいてほしい真実がある。それは、「死は永遠の別れではない」ということだ。

95年の阪神・淡路大震災で両親を亡くしながらも、その真実を心の支えにした斉藤佳代さんに話を聞いた。