《本記事のポイント》

  • トランプ氏は神と対話しながら、経済政策を行っている
  • 人間の限界を認める経済学者が、繁栄をつくりだせる
  • 経済学の前提にあったスミスの信仰心

トランプ大統領が8月、ウィスコンシン州の空港で大統領専用機を背景に行った演説が話題になっている。その中でトランプ氏が天を指差しながら、経済政策に関して「神と対話」し、「神からテストされている」と述べている箇所がクリスチャンたちの間で拡散されている。

その対話の内容はこうだ。

「私が皆さんとともに実現しているのは、経済的な奇跡に他なりません。それをもう一度やるのです。我々は世界最大の経済成長を実現しました。それをもう一度やらなくてはなりません。それは何を意味するか分かりますか。神は私をテストしているのです。

『神様、私は一度良い仕事をしましたし、私しかその仕事をできませんでしたよ』と話しかけました。そうすると神様は『そういうことは言ってはいけないよ。あなたはもう一度その仕事をするのです』と言うのです。オーケー、同意します、と伝えました。これには参ったね」

日本ではほとんど報道されることのないトランプの信仰心。その世界観とオーバーラップするのが、実は、アーサー・ラッファー博士のサプライサイド経済学だ。

前回は、サプライサイド経済学をつくったラッファー博士の宇宙観・世界観について、触れた。

多くの人の知恵と努力とが結晶してつくられた一本の鉛筆が、誰かの命令もなく完成される──。ラッファー博士は、そんな経済を前にすると畏怖の思いに打たれ、「経済は神様からの贈り物」だと感じるという。

私たちが住むこの宇宙は、神秘と美に満ちている。この宇宙の神秘を維持することが、経済学者の仕事であるという。

それは外科医の仕事に似ている。医者ができるだけ免疫システムを妨げない形で手術をするように、経済においても「害するなかれ」をモットーにしなければいけないというのだ。

そうした考えのもと、ラッファー博士は当時のレーガン大統領にアドバイスし、「税金を下げ、規制を取り除き、自然の宇宙から政府を取り除く」政策を実現したのだという。

その政策は、経済学の始まりのあったアダム・スミスの考えそのものだともいうのだ。

人間の限界を認める経済学者が繁栄をつくり出せる

このアダム・スミスのエッセンスを語っているのが、大川隆法・幸福の科学総裁により行われた自由主義の経済学者ハイエクの霊言である。

世界は、ますます拡大しつつあり、複雑化の様相をさらに深めています。

このなかにおいて、『ある一つの主義や教条、思想でもって、すべてを解決できる』というようなことはありません。そんな魔法は効かないのです。

また、『ある一人の経済学者や政治家の頭脳でもって、すべての問題を処理できる』というようなことはありえない。

政治家のみならず、官僚でも同じです。一部のエリート官僚の頭脳によって諸問題を解決できるレベルには限界があります。

『現代は、その限界を超えた時代に入っている』という基本的な認識が必要です。今、『認識』という言葉を使いましたけれども、『人間の理解力や物事を受け止める能力には限界がある』ということです。

アダム・スミスの経済学は、その限界を認めた経済学です。だから、その限界を知り、原点に帰ろうとすると、アダム・スミスに戻っていくんですね。

アダム・スミスが言ったことも、結局のところ、『一人の人の考えで、国全体の経済をうまくいくようにすることなど、できないのだ』ということです。業種がそれぞれ違うなかで、全部の業種を指導できるような経済原理などありはしません。そういう理論もなければ、そういう政策もありえないんですね。

だから、『各人が、それぞれの持ち場で最善の努力をするほうが、結果的には全人類の前進になる』ということです 」(『未来創造の経済学』所収)

こうした限界を知ることで人は謙虚さを持ち、政府がコントロールできるという考えは間違いだと気づくことができる。

ラッファー博士、アダム・スミス、ハイエクの経済学の系譜は、人間の本物の謙虚さを知った人が紡ぎ出したものだ。それはソクラテスの「無知の知」という言葉に代表されるような叡智にあたるものである。

では、彼らはなぜそうした謙虚さに至ることができたのだろうか。

幸福の科学の霊査によると、ハイエクの過去世は、ソクラテスだとされている。大川総裁は、そのソクラテスが「謙虚さ」を知っていたのは、神秘の世界を知っていたからだとして、こう述べている。

この世ならざる世界をいったん知ってしまうと、そこには広大無辺な空間が、時間が、そして活動があるということがわかります。それは生きている人間にとっては、とうてい全景をとらえられるものではないんです。それゆえに、無力感、無能感というのにさいなまれることになります。ゆえに、真の世界を知った人は、謙虚にならざるをえないのです 」(『黄金の法』講義)。

ラッファー博士も、この世界は奇跡に満ちて見えるという、ある種の感覚を持っていた。同じような体験がある人は、広大無辺な宇宙の中で、自らの小ささを知ると同時に、その中に生かされていることへの感謝と、畏怖の思いを持つことができる。

謙虚さから個々人の主体性へ

謙虚さを知った人ほど、政府がコントロールできるという立場を乗り越えて、個々人の主体性を引き出す経済学を考える。

アダム・スミスの『国富論』の中で論じられる「利己心」は、この文脈の中で理解されるべきだろう。

スミスも霊言の中で、「個人個人が、ある意味での責任を持つ、あるいは、小さな企業体まで含めて、それぞれの企業体が責任を持つという経済が、『神の見えざる手』の経済です」と述べている(『アダム・スミス霊言による「新・国富論」』)。このように、まず国家ではなく自分自身が責任を持つべきであるという考えがあった。

それは複数の人々の目的が調整される場である「市場」の徹底的な擁護や(ハイエク)、個人のインセンティブを高めるという経済学へと発展していく(ラッファー博士)。

複数性を持つ個人を尊重する考えがなければ、一人の人間の目的が、押し付けられる社会ができてしまう。要するに、少数者や単一の目的が優先される社会主義となる。それは中国の習近平国家主席の目的だったり、ソ連のスターリンの目的だったり、自民党の目的だったりするかもしれない。

そのような社会では自由な社会が持つ複数性が担保されない。本来の意味での自由主義的な社会を維持しようとするなら、やはりアダム・スミスの古典派経済学に戻らなければならないのである。

アダム・スミスの信仰心

そこに立ち戻るには、アダム・スミスが深い信仰をもっていたことを思い出す必要がある。スミスの「見えざる手」は、スミスが「神の存在」を示すために使った別名と言われている。「究極の調停人が、この宇宙に存在する」という確信に近いものだった。

冒頭で紹介したトランプの神との対話は、彼を超越する存在がいて、彼はその御手足にすぎないことを示している。そうした謙虚さは、アダム・スミスのごとく人間の限界を知った人の世界観の通じるもので、民間への信頼、安い税金、規制緩和、小さい政府へとつながっていく。

一方、米民主党の大統領候補であるバイデン氏はニューディール政策のような公共事業を通じた雇用改善、増税を財源としてインフラや社会保障の充実、コロナが再度流行すれば再度ロックダウンすると公言することをはばからない。要するに、政府が経済をコントロールできるという考えに基づいたもので、大きな政府を招く政策が目白押しだと言える。

そんなバイデン氏が信じる神は、限界よりも全能さを与え、謙虚さよりは傲慢さを人間に植え付けるようだ。

問題なのは、トランプ氏やラッファー博士のように、この世界を創られた神への感謝に満ちた眼差しが感じられないことだろう。バイデン氏の信じる神は本物なのか、それは神と言える存在なのか、疑念を呈してしかるべきだろう。

本物の神がいる経済学を取り戻すべき時に来ている。

(長華子)

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