群馬県嬬恋村の「愛妻の丘」からの夜空。写真提供:ピクスタ。

2020年5月号記事

地域シリーズ

群馬県

群馬から、宇宙へ。

宇宙産業で日本一になるための3カ条

古くから「ものづくり」の土壌があり、航空・宇宙関連企業も多い群馬県。

もう一段の飛躍を遂げる方法を探った。

(編集部 駒井春香)

群馬県は航空・宇宙分野の盛り上げを目指して、2016年、「ぐんま航空宇宙産業振興協議会」を設立。県内企業の高度な技術力と成長分野を結びつけることで、経済の活性化を目指している。

群馬は航空・宇宙産業に携わる企業が日本有数の「宇宙県」だ。かつて太田市に存在し、東洋一の飛行機メーカーとして世界を席巻した中島飛行機の存在もあり、現在、航空・宇宙関連企業は県内に100社以上存在する。

中島飛行機には、後に「日本の宇宙開発の父」とされる糸川英夫が在籍し、第二次大戦で活躍した戦闘機「隼」の設計に携わっていたことは有名だ。

さらに同社は戦中から、ジェットエンジンやロケットエンジンの独自開発にも着手。終戦後、GHQにより解体され、その技術は一時途絶えたが、後身にあたるスバルなどに継承された。

〈左〉中島飛行機時代、糸川が設計に携わった一式戦闘機「隼」。写真:Mary Evans Picture Library/アフロ 写真。
〈右〉糸川英夫は中島飛行機を退職後、東京大学などでロケットの研究に従事。1955年にペンシルロケットの水平発射実験を行って以降、さまざまなロケットや人工衛星などの研究開発に携わる。

「ものづくり」の原点は

工業県・産業県というイメージも強い群馬。「ものづくり」の原点を探ると、明治初期に建てられた富岡製糸場に行き着く。

「女工哀史」のようなイメージが強いが、全国から集められた工女たちは当時、機械による最新の製糸技術を学ぶエリートだった。

工女たちが紡ぎ出した生糸は世界で「最高級品」と認められ、外貨獲得に貢献。国力を高める大切な存在となった。工女たちの頑張りが富岡や群馬を発展させたばかりか、一部の工女が故郷に戻り、学んだ技術を伝えたことで、全国的な生糸産業の発展につながった。

そんな群馬が、今、航空・宇宙産業でもう一度、日本をけん引するには、どうすればいいか。過去・現在・未来の3つの視点から"三角測量"し、飛躍の方法を探ってみた。

〈左〉製糸場内部。操業当初はフランス人教婦らが工女たちに本場の技術を指導していた。
〈右〉明治時代の富岡製糸場。1872年、主要輸出品である生糸の増産と品質向上を目的に設立された。

次ページからのポイント(有料記事)

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