【体験談・完全版】虐待経験を乗り越えて─ 母の愛に気づき、人生すべてが変わりました(前編)

 

実母から虐待をされ、つらい思いを抱えたまま大人になった大阪府の大坪久子さん(61歳)。

 

幸福の科学の教えに出会い、「両親に対する反省と感謝」研修で母との縁と深い愛に気づいた大坪さんは、現在はかつての自分のように、人生に光が見えず、苦しむ人たちの力になろうと活動しています。

 

本誌7月号に掲載した大坪さんの体験談の、掲載しきれなかったエピソードなども含めた完全版を、3回にわたってお届けします。今回は前編です。

(聞き手 駒井春香)

 

複雑な家庭環境

4歳年上の姉とともに。左が大坪さん。

小さい頃を思い出すと、暴れる母を祖父母が押さえつけるシーンが浮かんできます。

 

私を妊娠する少し前から、母は精神的な病に罹っていました。私を身ごもっていると分かり、親族には堕胎するよう説得されましたが、父が「授かった命や。産ませる」と反論し、この世に生まれることができたのです。

 

母は、赤ん坊の私がいくら泣いても、おっぱいをあげることも、おしめを換えることもなかったそうです。私は同時期に出産した近所の人に、おっぱいをもらって育てられました。

 

私が4歳のときに両親は離婚。父は最初、姉と私を引き取るつもりでしたが、「12歳になるまで」という条件で、私は母の実家で、母と祖父母、叔母と暮らすことになりました。

 

母は子育てどころか家事も一切せず、祖母や叔母に任せきり。そして突然、祖父母にいわれのない暴言を吐いたり、因縁をつけたりします。またある時は、誰もいないのに「二階に誰かおる」などと怯え、暴れ出すのです。

 

「またや……」

 

訳の分からないことを叫びながら、髪を振り乱して暴れる母を、祖父母は力づくで押さえつけるしかありません。その様子を、部屋の隅で膝を抱えて、震えながら見ていました。

 

母は女学校を首席で卒業し、教員免許を持つ才女でした。そのため、私が小学校へ上がってからは、成績が良くなければ容赦なく物差しやリコーダーで叩かれ、蹴りつけられました。

 

風向きによって学校から校内放送が聞こえると、誰かが私の悪口を言っていると感じるのか、「うちの久子をいじめるんは誰や!」と職員室に怒鳴り込んできたことも一度や二度ではありません。そして、娘の私が先生に怒られるのです。

 

友達は多い方でしたが、噂が広がったのか、親御さんから「あの子のお母さんは頭がおかしいから、遊んだらあかん」と言われ、家には誰も遊びに来なくなってしまいました。

 

母、先生、近所の人……。私は次第に、大人の顔色ばかりを伺うようになりました。

 

 

人前で全裸にされて

中学生くらいの時に、旅行先にて。

小学校高学年のころ、忘れられない出来事が起きました。

 

母と商店街に行ったときのことです。それまで、何かをねだったことなどありませんでしたが、お店に並んでいたかき氷機を見て、つい「ほしい。買うて」と、ポロッと口に出したのです。

 

意外にも、母はスッとレジに持って行ってくれました。店員さんが包装紙とリボンを掛け、渡してくれたときの喜びは、今もよく覚えています。

 

「お母ちゃん、ありがとう」

 

しかしお店を出た瞬間、母が何やらぶつぶつと独り言を言いながら、服を脱がしてきたのです。カーディガン、スカート、肌着……子供の私にとって、母は絶対的な存在です。逃げるという発想はなく、されるがままでした。

 

周りには人だかりができ、ただ恥ずかしく、「ごめんなさい、ごめんなさい」と全裸で土下座をして謝りました。そして自分で服を着て、とぼとぼと独りで家に帰ったのです。

 

「お母ちゃんは病気だから、仕方ないんや」

 

自分にそう言い聞かせ、耐えるしかありませんでした。

 

 

駆け落ちするも苦労続き

大坪さんは着付や和裁のほか、お茶も裏千家の師範免許を取っていた。

中学校に上がってからは、父と姉、再婚した養母、養母と父の間に生まれた妹と暮らすことになりました。時折は母や祖父母に顔を見せに行っていましたが、だんだんと回数も減りました。

 

高校卒業後は銀行に就職。さらに父方の実家が呉服屋だったこともあり、手に職をつけたくて、着付の講師の資格を取ったり、和裁の学校に通ったりもしていました。

 

このまま順調な人生を歩めると思いましたが、高校生の時から付き合っている男性との仲を父に反対され、仕事も辞め、駆け落ち同然で家を出てしまったのです。

 

彼と、ボロボロの狭いアパートで同棲。貯金はすぐに底をつき、彼は建築現場に働きに出ることになりました。そして私は、水商売で家計を助けることにしたのです。

 

育ての母(右端)と、父が再婚後に生まれた弟妹と一緒に食事をする大坪さん(左上)。

夜の仕事ですから、夕方に出勤し、帰るのは深夜。帰宅してから小さなコンロで彼のお弁当を作りました。しかし翌朝、彼はなんだかんだと言い訳をして、起きてこないのです。

 

「腹が痛いから、今日は休むわ」

 

仕方がなく、作ったお弁当を家で一緒に食べたりもしました。

 

(なんで働いてくれんの? お父ちゃんが反対した通りやった……)

 

でも、なぜか彼とは離れられないのです。

 

どうにか別れたり、よりを戻したりをくり返し、結局は別れましたが、その後も実家には戻らず、水商売を続けました。

 

(一度親不孝して飛び出した家や。おいそれとは帰れない……)

 

 

「この教えは本物や」

そんなある日のこと。職場の待機スペースで、隣にいた同僚が詩集のようなものを読んでいました。興味本位で「何を読んでるの?」と尋ねてみると、「これな、幸福の科学の『正心法語』という経文やねん」「お釈迦さんが再誕されてるねんよ」という返事。水商売では、宗教と政治と野球はご法度です。

 

「お釈迦さんが再誕? そんなんよく信じられるなぁ」と、つい食ってかかってしまいました。しかし同僚もひるみません。

 

「これ、読んでみて」

 

『太陽の法』

『太陽の法』

大川隆法著

幸福の科学出版

仕事終わりに、大川隆法総裁の書籍を数冊渡されました。(面倒なことになってしもた……)と思っている私に、同僚は「さっきの本はあげるけど、これは私のやから、読み終わったら返して」と、さらにもう一冊手渡してきたのです。

 

表紙には、『太陽の法』と書いてありました。(数ページだけ読んで、感想を言って返そう)と思った私は、家に帰ってさっそく、開いてみたのです。

 

「うわぁ、これ、どういうこと!?」

 

なぜ私たちは生きているのか。人は死んだらどこに行くのか。なぜ宇宙は存在するのか……長年抱いていた、漠然とした疑問への答えが、納得のいく形で書かれていたのです。

 

ページを繰る手が止まりません。半ページ読んで、また2ページ戻って……と、じっくりと読んでいくうちに、気づけば夜が明けていました。第6章を読み終わり、溢れ出る涙を拭った私は、「この教えは間違いない」と確信したのです。

 

そして書籍を貸してくれた同僚に、支部に誘われ、幸福の科学の信者となりました。

 

「この教えは絶対に本物や。1人でも多くの人に、知ってもらいたい」

 

私は、大川隆法総裁の書籍をむさぼるように読み、仏法真理を学んでいきました。

(中編に続く)

 

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