260年に渡る泰平の世を築いた徳川家康。その幼少期が不遇であったことはよく知られていますが、生母・於大の方(おだいのかた)や祖母・華陽院(けよういん)の献身的な愛についてはあまり知られていません。

本欄では、天下人を支えた2人に焦点を当てたいと思います。

母娘二代に渡る政略結婚

於大の方は1528年、尾張の国(現在の愛知県)にある緒川城の4代目城主・水野忠政の娘として生まれます。

家康と同様、於大の方も幼少時に、母・華陽院との別れを経験しています。三河地方をほぼ統一していた隣国の岡崎城主・松平清康が水野氏を破った際、和睦の条件として、美貌の誉れ高かった華陽院を要求し、松平家に嫁いでしまったのです。

戦乱の世だった当時、東海地方では、駿河(現在の静岡県)の今川側につくか、尾張の織田側につくかが、周辺の大名にとって大きなテーマでした。