先の大戦において、日本軍が奮戦・玉砕することとなった、ペリリュー島や硫黄島での戦いは有名です。

しかし、ポツダム宣言の受諾を告げる玉音放送から3日後、北方の島にも、将兵たちが祖国の防波堤となり命を散らせた「硫黄島の戦い」のような局面があったことは、あまり知られていません。

ソ連の指導者スターリンは終戦後、情勢の混乱に乗じて日本侵攻を狙っていたと言われています。その最初の戦場に選ばれたのが、北海道へと続く千島列島の先端にある占守島(シュムシュトウ)でした。

今回は、そのストーリーの後編。

(前編: http://the-liberty.com/article.php?item_id=13385 )