≪本記事のポイント≫

  • 福島第一原発事故について、国と東電に責任があったとする判決が出た
  • 原発を高台に建設していれば、事故を防ぐことはできた
  • ただ、「原発は危険」というのはイメージに過ぎない

巨大津波は予測可能で、原発事故は防げた――。そんな判決が初めて出た。

福島第一原発事故の影響で、福島県から群馬県に避難した住民ら137人が、国と東京電力を相手取り、約15億円の損害賠償を求めて訴訟を起こしていた。前橋地裁は17日に、「対策をすれば事故を回避できた」として、国と東電に合わせて3855万円の賠償を命じた。

原道子裁判長は、政府の地震調査研究推進本部が2002年に、「マグニチュード8クラスの津波地震が、30年以内に20%程度の確率で起こる」と公表していたため、「東電は津波を予測可能だった」と結論づけた。

また、非常用電源の高所設置などの対策を行えば、事故は防げたとして、「東電は経済的合理性を安全性に優先させた」と指摘。国についても、「規制権限を行使していれば、事故は防げた」と責任を追及した。

「原発の危険」を世界に広めた日本政府

たしかに、福島原発事故は避けられた可能性は高い。

事故は、発電機が津波を被って故障し、電力を原子炉に供給できなくなった結果、原子炉の冷却機能が働かなくなり、原子炉の熱が上がって炉心融解が起きたというものだった。

福島原発が建つ場所はもともと、高さ35メートルの高台だったが、それを10メートルの高さにまで削った後に建設されている。もし35メートルの高台に建てていれば、津波の影響はなく、事故も起きなかったはずだ。

ただ、事故責任を東電にだけ問うのは酷だろう。当然、監督すべき国にも責任はある。この点について、大川隆法・幸福の科学総裁は次のように指摘している。

『台地を二十五メートル削って原発をつくる』ということを認めた以上、やはり、国のほうに責任があります。要するに、津波を甘く見ていた責任は当然あるのです。

また、発電機の故障によって冷却装置が作動しなくなったことを、原子力そのものの危険のようなかたちで世界に広めてしまい、世界の人々を震え上がらせたのですから、それについても政府には責任があるでしょう

(『政治と宗教の大統合』所収)

原発より落雷の方が500倍危険?

実際、原発そのもののリスクは小さく、原発事故の放射線被曝による死者も出ていない。これについてアゴラ研究所所長の池田信夫氏は、こう指摘している。

「日本で原子力施設の放射能で死亡した事故は50年間で2人だから、1年間に0.04人が死んだことになる。これに対して落雷による死者は年間20人だから、あなたが原発で死ぬリスクを恐れているとすれば、落雷で死ぬリスクをその500倍恐れたほうがいい」(2011年4月16日付アゴラ)

つまり、一部マスコミが伝えている「原発は危険」というのはあくまでイメージに過ぎない。実際には、原発よりも落雷の方が死亡リスクは高いのだ。

今回の判決について、菅義偉官房長官は、訴訟が原発政策に与える影響は「ないと思う」と述べたが、政府が原発再稼働を曲がりなりにも進めている以上、「原発は安全である」と反論すべきだった。

資源の乏しい日本にとって、原子力は重要なエネルギー源だ。今後のエネルギー政策をどうしたいのか、政府ははっきりと意思表示をする必要がある。

(山本泉)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『政治と宗教の大統合』 大川隆法著

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