リオ五輪のテニス男子シングルスで、錦織圭(にしこり・けい)選手が、3時間近くにも及ぶ激闘の末、スペインのナダルを下し、銅メダルに輝いた。この種目でのメダル獲得は、1920年アントワープ五輪以来、96年ぶりの快挙だ。

今回、注目したいのは、錦織選手の言葉。試合を振り返って、こうコメントした。

「日の丸を背負うのは楽しかった。苦しい場面もあったけど、日本のために頑張るのは心地よかった。本当に楽しめるオリンピックだった」

大会前の会見でも、次のように意気込みを語っている。

「国を背負い、国の代表として戦う場所。国がサポートしてくれるので、その分重みはある。僕だけのことじゃない。日本人としていいニュースを届けられるよう頑張りたい」(16日付産経新聞)

サッカーやバレーボールのように「日本代表」として戦う機会の少ないテニス選手にとって、オリンピックという舞台は、格別なものだったようだ。

柔道男子73kg級で金メダルを取った大野将平選手も、決勝で一本勝ちを決めた直後の冷静な態度に注目が集まった。

前回ロンドン五輪では、日本男子の柔道が初めて金メダルゼロに終わった。大野選手の勝利はこの屈辱を晴らす、感動的な瞬間であったが、ガッツポーズどころか、表情一つ変えなかった。笑顔も見せず、深々と礼をした後、対戦相手と両手で握手を交わし、健闘を称え合った。

大野選手は、一連の行動についてこう話している。

「相手を敬おうと思っていた。日本の心を見せられる場でもあるので」(9日付読売新聞) 。

「礼に始まり、礼に終わる」武道の精神を体現したと言えよう。

試合直後には、「柔道という競技の、素晴らしさ、強さ、美しさを、観ている皆様に、伝えられたんじゃないかなと思います」

錦織、大野というメダリストの発言は、メジャー通算3000本安打を達成したイチローと通じるものがある。

記録達成後の会見で、イチローは、こう語った。

「3000という数字よりも、僕が何かをすることで、僕以外の人たちが喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事なことだ、ということを再認識した」

共通しているのは、自分の成し遂げたことよりも、観ている人、支えてくれる人に思いが向いている点だ。

もちろん、スポーツに限らず何かを成し遂げる上で、個人的な満足を得ることは決して悪いことではない。だが、「一流」と呼ばれる人々は、そうした次元を超えて、自分の活躍や精進する姿が、多くの人々に勇気や希望を与え得る、ということを強く自覚しているようだ。

むしろ、その自覚こそが、日々の彼らを支えているのかもしれない。

素晴らしい活躍をする選手たちの姿は、私たちに多くの感動を与えてくれると同時に、「一流」とは何か、ということを示してくれる。

(片岡眞有子)

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