神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた、戦後最悪の大量殺傷事件。私たち1人ひとりの、障害者のとらえ方が問われる事件と言えるだろう。

植松聖容疑者は事件の起きた施設に勤務していたが、今年2月に衆院議長に「障害者は安楽死させるべきだ」との内容の手紙を渡している。施設でも同様の発言を繰り返したことで退職。「そう病」と診断されて措置入院をしたが、「他人を傷つけるおそれがなくなった」とされ、3月に退院していた。

今月28日には、入院中に「ヒトラーの思想が降りてきた」と話していたことが明らかになっている。

障害者殺戮の背景にある「ヒトラーの思想」

容疑者のいう「ヒトラーの思想」とは、「ドイツ民族を世界一の民族にする」という名目で行われた、ナチス・ドイツの優生政策にあたると考えられる。1939年以降、約7万人の障害者が安楽死させられ、その後のユダヤ人大虐殺へと繋がっている。

今回の事件の容疑者が衆院議長あてに書いた手紙には、「重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません」とある。「重複障害者」とは、身体障害や知的障害など、複数の障害を持つ障害者のことで、介護の負担が大きいのも事実だ。

この手紙には、犯行を計画した動機として、「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」を指摘。「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております」と記している。

この施設にいた障害者は、働くことが難しく、会話もままならない重度の障害者が多かった。なかには、「強度行動障害」があり、周りや自分に危害を加える障害者もいたという。こうした障害者の、人間としての尊厳をどうとらえるかが問題になるだろう。

障害者には人格があるのか

目に映る障害者の姿だけを見ていては、答えを出すのは難しい。

しかし、「障害があっても魂は完全」という考えに基づき、障害児支援に取り組む一般社団法人ユー・アー・エンゼルの理事長である諏訪裕子氏は、このように語る。

「障害者に人格があるのは当然です。彼らにも心があり、まわりで起きたことを感じ取っているし、『思い描く』という創造活動をしています。その思いを、言葉として引き出す支援方法も、障害児支援の世界にはあります。

目に見える行動を取り上げて、内面もそうだろうと結びつけてはいけないんです。内面は豊かでも、それがうまく表現できないだけなんです」

一般的に、幼児の頃に障害を負うと、知能の発達は止まったままだとされている。しかし、それはどうやら事実ではないと分かってきた。

1歳10ヵ月で寝たきりになり、体のどこも自由に動かすことができず話すことも全くできなくなった少年が、17歳の時、スイッチワープロによって引き出された言葉は非常に高度な内容のものだった。

「苦労をかけて母さんには本当に申し訳ないです。わたしたちにも言葉があるとなぜ分かったのですか」「どうしてみんな分かっていると思われないのかとても歯がゆい思いをしてきましたが分かってもらえて幸せです」(『障害児をはぐくむ魔法の言葉 ユー・アー・エンゼル!』より。原文ひらがな)

このように、言葉をつづる障害者の多くが、まず家族への感謝を表そうとするという。周囲の人への感謝の思いを持つことは、健常者も見習うべき高い精神性であることは言うまでもない。こうした事実を知ってなお、「障害者は役に立たないので迷惑をかける」と断じることができるだろうか。

見る目が変わると行動が変わる

さらに、周囲の人々の障害者への見方を変えると、本人の行動が変わる例も珍しくないという。

「ユー・アーの活動に参加する障害児の皆さんには、『自傷行為がなくなった』『会話できるようになった』『歩けるようになった』『文字を書けるようになった』などと、奇跡的なことが起きることも珍しくありません。でも、それは子どもが進歩したというよりも、もともとそうだったことを、まわりが発見できるようになったということなんです。変わったのは本人ではなく、まわりの見方の方なんです。まわりの見る目が変わると、内面を表現しやすくなるのだと思います」

逆に言えば、「障害者はこちらの言っていることが何も分からない」「幼児くらいの知能しかない」という目で見ることは、障害者本人の自尊心を傷つけ、実態と合わない支援を押し付けることになりかねないということでもあるだろう。

「肉体が全て、と考えるよりも、魂が肉体に宿っていると考えた方が実態に近いし、結果的に子供が伸びるんです」(諏訪氏)

すべての人が生きる意味を持っている

諏訪氏は「最初は不幸の種と見えていた我が子の障害が、幸福の種に変わっていったという方も数多くいらっしゃいます」という。障害があるから本人も家族も不幸である、という見方もまた、一方的な決めつけであるということだ。

「障害者をどうとらえるか」ということは、この世に生きるすべての人に関係がある。自分や家族が、事故や病気で突然、障害者になることがないとは言えないからだ。また、高齢になって身体機能が衰えたり、認知症を患うことがあれば、一人で生活するのは難しい。

競争社会で認められるか否か、という物差しだけでしか自分を捉えられず、自分自身の存在価値を見失う人も少なくない。「愛」や「魂の救済」の本当の価値を、障害者はその姿で教えてくれている。

(河本晴恵)

【関連書籍】

幸福の科学出版『ヘレン・ケラーの幸福論』大川隆法著

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幸福の科学出版『障害児をはぐくむ魔法の言葉 ユー・アー・エンゼル!』諏訪裕子著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1511

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