共同通信社によると、昨年の4月以降、少なくとも10件の認可保育園が、周辺住人の反対により開園断念・延期になったという。

「保育園落ちた」ブログを契機に問題意識が広がる保育園新設めぐる、一つの壁が浮かび上がっている。

「静かに暮らしたい」

千葉県の市川市では、4月に開園する予定だった私立保育園が、住民による反対運動により開園を断念した。

こうした反対の理由として挙げられるのは、以下のようなものだ。

「子どもの声がうるさい」「静かに暮らしたい」「母親たちが子供の送迎時に溜まるから迷惑である」「予定地の周囲は交通量が多く道が狭く子どもたちには危険だ。自転車が行き交い事故が起きるのではないか」

待機児童問題が深刻化している今、「保育園の開園」と「周辺住人の環境」のどちらを優先させるべきなのだろうか。

自分は静かに育ったのか?

一つには、「誰もが子供時代は周りに迷惑をかけて育ってきた」という観点がある。

今は「静かに暮らしたい」と思っている大人たちは、大声を出さない、静かな子供だったのだろうか。

「今の自分たちがあるのも、過去、大人に迷惑をかけても大目に見てくれたり、寛容に受け止めていてくれたりしていたから。直接、大人たちに恩を返すことは難しい。しかし、自分がしてもらったことを、次の世代を担う人たちにすることは可能だ」

国民一人ひとりの立場から言えば、こうした「報恩」の考え方で保育園開園を許容する、という考え方があるだろう。

ちなみに、保育園以外に目を転じれば、公益性の高い道路敷設や住宅開発などの際は、個人が立ち退きを拒否できない場所もある。社会全体の発展と比較した時に、「私権」は絶対ではないという考え方は、民法にも入っているものだ。

対話の余地もある

ただ保育園を開園するに当たり、住民側が受け入れやすくなる工夫もあり得る。

例えば、世田谷区太子堂にある保育園開設においては、反対する住民との和解がスムーズに成立している。

行政・保育園と住人の間を、まちづくり協議会の梅津政之輔氏が取り持ち、話し合いの仲介や園の建設計画の調整を通して、住民達の不安を解消するための対処を行ったというものだ。

梅津氏は、「子どもの声のしない町には未来がない」と考え、当時の園長である栗田怜子氏と共に「建てたあとに地域の仲間として迎え入れてほしい」と住人側に伝えた。

住人の不満・不安の底にある本音を聞き出すなどの対話を重ね、道路に面していた園庭の位置を変えたり、住民の日当たりを確保するため、敷地を掘り下げて建物の高さを抑えるなどの工夫を行なった。(NHK「クローズアップ現代」参照)

保育園と住人側の和解は、工夫次第では可能だ。

子供は宝だ。将来を担う子供達を温かい目で見守りつつ、現実的に解決可能な問題点については、互いに歩み寄る努力をしていくべきではないだろうか。(手)

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