「竹島の日」の式典を報じた、2月23日付産経新聞。

先日、2月22日の「竹島の日」に、気になるニュース映像が流れていました。今回は、その点について紹介します。

1905年2月22日に、島根県は竹島の帰属を告示しました。それから100年を記念して、2005年、県の条例で「竹島の日」を定めました。それ以来、毎年この日の前後に、島根県の松江市で式典が開かれています。

しかし、韓国の関係者や右翼の街宣車が集まるなどして、今では、警察ともめる様子が「風物詩」になってしまっています。

「正しい位置付け」で祀られていた神棚

でも、今年は、これまでとはちょっと違った、興味深いことがありました。

式典のステージの中央に「神棚」が祀られていたのです。しかも、国旗と島根県の旗を両脇に従えるという、「正しい位置付け」で祀られていました(上画像)。

この点について島根県に確認したところ、例年、式典は、島根県民会館という大きなホールで行うのですが、耐震補強工事中で使えず、今年は、近くの島根県立武道館で開催した、ということでした。

武道館には、日頃から神棚が祀られており、柔道や剣道、なぎなたなどの試合や練習をする人々が、拝礼するといいます。

日本の伝統は「政教分離」でなく、「政教一致」

こういう事実を知ると、「県の施設に神棚があるのは『政教分離』に反している」と批判する人もいるかもしれません。

でも、日本は、伝統的に「政教分離」ではなく、「政教一致」の国でした。「神の心を地上に降ろすことで、人々の幸福や繁栄を実現する」ことを目指してきたのです。

その証拠が、天皇陛下の存在にあります。天皇は125代続いていると言われ、皇紀で言えば、今年は「2675年」です。少なくとも2000年近くの歴史を持つ、「世界最古・最長の王朝」なのです。

ちなみに、島根県は、縁結びのパワースポット「出雲大社」や、大国主命の「国譲り神話」で有名です。八百万の神々が留守にするので、全国的に10月のことを「神無月(かんなづき)」と呼びますが、神々が集まると言われる出雲では、「神在月(かみありづき)」と呼びます。

この島根県で行われる、領土を守ろうとする式典の会場中央に、「神棚」があることは、極めて自然なことです。

人間宣言、神道指令の直後に行われた「李承晩ライン」

ちなみに、「竹島」をめぐる問題は、第二次大戦で日本が負けた後の1952年、自衛隊が存在しない時代に、当時の韓国の李承晩(り・しょうばん)大統領が、勝手に「李承晩ライン」を引いて、「竹島は韓国の領土だ」と宣言したことに始まります。

でも、1951年、日本が、アメリカをはじめとする戦勝国と結んだサンフランシスコ平和条約では、「竹島は日本の領土」と考えられていました。つまり、現在、韓国は、国際法上、何の根拠もなく、島根県の竹島を「独島(ドクト)」と呼んで、不法に占拠しているのです。

敗戦後、GHQは、昭和天皇に「人間宣言」をさせたり、「神道指令」を出すなどして、日本から「神様を排除」しようとしましたが、その時期に、「李承晩ライン」が引かれたことを考えると、「神様が留守の間」に日本の伝統や領土が奪われた、と言えなくもありません。

国土や国民を守るためにも、「神の国・日本」としての誇りを取り戻すべきではないでしょうか。

(山下格史)

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