福井地裁はこのほど原告の訴えを認め、大飯原発再稼働差し止めの判決を下した。
判決を下した樋口裁判長は、再稼働の是非を判断する安全性について完全な「ゼロリスク」を求めた。安全性の検討は起こりうる災害予測から行われるが、判決では「(地震の規模予測に関し)頼るべき過去のデータは極めて限られているので、確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能」とされている。つまり、裁判所が求めるゼロリスクとは「地震が発生しない」ということであり、地震の多い日本において原発を稼働させることは不可能となる。このような論理が通用するのであれば、そもそも「安全基準」を定める意味自体が成り立たなくなるため、この判決はナンセンスであると言わざるを得ない。
また「原発そのものが危険である」という判断にも根拠がない。2011年の震災をきっかけに起こった福島原発事故は、津波による電源喪失が原因だった。マグニチュード9.0という巨大地震でも緊急停止の安全装置はしっかり作動し、原発の性能の高さを証明したとさえ言える。
そもそも全原発が稼働停止に至った発端は、当時の菅直人首相が中部電力に対する稼働停止の「お願い」であり、その後に原子力規制委員会が安全審査のために稼働停止させているのだ。実は、この菅首相の「お願い」や「安全審査中の稼働停止」に法的根拠や強制力はまったく存在しない。今年2月、政府は「(規制委に)再稼働を認可する規定はない」という答弁書を閣議決定していることからも、規制委が再稼働に言及する権限がないことは明らかである。
これらの事実から考えると、法的根拠なく原発の再稼働ができない状況が問題であり、このような法が機能していない状態を解決することこそが、司法に求められる仕事ではないだろうか。
また、裁判長は「生存を基礎とする人格権」を根拠として今回の判決を下したとしているが、この「生存を基礎とする人格権」には矛盾がある。東日本大震災後は停電による寒さで体調を崩して死亡する人が続出し、近年続いている猛暑では節電による死亡事故が数百件発生している。今後電力不足で停電が発生した際には、人命に関わる重大事故となることは間違いない。今回の判決では、政治的判断によってこのように人命が失われている事態にはまったく触れられていない。これは本当の意味で「生存を基礎とする人格権」が考慮されていないも同然である。このような判決は、今後、同様の訴訟があった際に踏襲されるべきではない。
(HS政経塾 数森圭吾)
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