2022年9月号記事

Interview

香港は必ず勝利する

現在の香港や、中国をどう見るべきか。
天安門事件当時、広州で民主化運動をリードし、投獄経験のある政治評論家に話を聞いた。

陳 破空

(ちん・はくう)1963年生まれ。89年の天安門事件当時、広州で民主化運動をリードし、3年の実刑判決を受けて収監。釈放後、香港に脱出を試みるが、失敗し強制送還。再び1年半、収監される。95年に釈放され、翌96年にアメリカに亡命。現在、アメリカで政治評論家として活躍。

──陳さんは中国の刑務所の実態を国際社会に暴露しました。刑務所で行われていた強制労働について教えてください。

陳破空氏(以下、陳): 1989年8月2日、私は突然社会から消され、世間と隔絶された刑務所に収監されました。

食事は1日2回、脂身だらけの豚肉と砂混じりの煮崩れたおかずが小窓から差し入れられるだけ。ほかの囚人とは異なり、本や新聞の差し入れがなく牢の中で監視され続けたのです。

高いところに空気窓があるだけで、格子窓のないコンクリートの壁に密閉された空間で新鮮な空気に触れることもできず、薄暗い状態で墓に生き埋めにされたかのような感覚がありました。

当時、私は裁判にかけられることが"夢"でしたが、裁判さえ開かれない。太陽光がなく新鮮な空気がないため、髪の毛が干し草のようになる始末。皮膚は薄くなりすぐ出血するなどの生理的な変化も起こりました。