陸軍中佐時代の中川州男(画像はWikipediaより)。
戦後70年を迎える今年、天皇・皇后両陛下は4月、パラオ共和国のペリリュー島に訪問予定です。
ペリリュー島と言えば、1944年9月、中川州男(くにお)大佐(戦死後、2階級特進して中将)が指揮する守備隊約1万人と米軍約4万2000人が戦った地。日本軍は、最終的に1万22人の戦死者を出すなど、文字通りの「玉砕戦」が行われ、現在も約2600柱の遺骨が眠っているとされています。天皇陛下は同島に訪れ、亡くなった日本兵を慰霊する予定です。
では、そもそも「ペリリュー島の戦い」とは、どういうものなのでしょうか。
「小さい島の戦闘は2、3日で片付く」
米軍の上陸進路。(Wikipediaより)
1943年2月、ガダルカナル島を攻略した米軍は、フィリピンへの侵攻ルートを確保するために、日本軍の飛行場があったペリリュー島の攻略を企図しました。ガダルカナル島の戦い以来、戦局は米軍に大きく傾き、米兵内では楽観ムードが漂っていました。