フランス週刊紙「シャルリー・エブド」のパリ本社に、国際テロ組織「アルカイダ」を名乗る武装した男が押し入り、編集長、編集関係者、風刺画家、警官を含む計12人が殺害されるという痛ましい事件が起きた。事件の背景には、同紙が、過去に何度もイスラム指導者を風刺するイラストを表紙に載せ、イスラム勢力の反発を買っていたことがあると考えられる。
このような暴力的なテロ行為は決して許されるものではない。亡くなった方々の冥福を心から祈りたい。
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今回の事件は、「言論の自由」への侵害と見る向きがある。
事件の後、フランス全土で計10万人が「Je suis charlie(私はシャルリー)」の紙を掲げたことからもわかるように、フランス社会は「言論の自由」を譲らないという思いで結束している。
「言論の自由」はもちろん重要だ。だが本欄では、それは無制限に許される自由ではないことも主張したい。
今回狙われた新聞社は、左派的で無神論的なスタンスを取り、過去にも宗教への冒涜行為を平気で行ってきた。
2011年に「預言者ムハンマドを同紙の新しい編集長に指名した」という題で、「笑いすぎて死ななかったら、むち打ち100回の刑だ」と揶揄するようなセリフがついているムハンマドの風刺画(画像1)を掲載した。その翌日、同紙事務所に火炎瓶が投げ込まれ、事務所が全焼するという事件があった。
さらに同年、同紙が預言者ムハンマドを同性愛者として描いた風刺画(画像2)を掲載した結果、同紙ウェブサイトがハッカーの被害を受けている。内容はさらにエスカレートして、最近の号では、「イスラム国」が預言者ムハンマドの首を切るマンガまで掲載していた。
当然、国内外のイスラム勢力から激しい批判を受けていたが、その後も「言論の自由」を盾にして、タブーのない編集方針をとった。イスラム教に限らず、聖母マリアが、ブタの顔をしたイエス・キリストを出産した様子を描いた風刺画を掲載するなど、あらゆる宗教への冒涜を行っていた。
マスメディアが、宗教に対する一定の見識を持って宗教を論じるならば問題はない。だが、宗教を冒涜や嘲笑の対象にしても良いという姿勢は間違っている。
今回亡くなった編集長兼風刺画家のステファン・シャルボニエ氏は、雑誌のインタビューで、「自分の書いていることがそこまで人を苦しめているわけではない」という認識を示したが、実際は信仰者たちの心を傷つけ、踏みにじっていた。仕事に対する姿勢については、「面白いものを提供したい、人生を気軽に楽しみたい」というユーモアの大切さを強調しており、宗教に対する見識を持って意見を発表しているとは思えない。
そもそも「言論の自由」は「信教の自由」から出てきたという歴史的経緯がある。
大川隆法・幸福の科学総裁は、この「信教の自由」と「言論の自由」の関係について、著書『理想国家日本の条件』の中で、以下のように述べている。
「信教の自由から、信仰告白の自由が出てきたのです。そして、それを守るために、言論の自由が出てきたのです。信仰告白の自由から、言論の自由が出たのです。
ところが今では言論の自由のほうが絶対になってしまい、マスコミが信教の自由の方を自由自在に批判でき、神も仏も批判できる、こんなことになっています。これは本末転倒であり、論理的にいっても、この考えは矛盾しています」
マスコミが「言論の自由」を振りかざし、神も仏も冒涜することが許されると考えるのは、傲慢であり、宗教への無知である。
一方、イスラム教も、偶像崇拝を禁じ、ムハンマドのイラストを描いたこと自体を冒涜だと見なすのも、偏狭である。また、たとえ間違った言論であっても、今回のような暴力的な行為で報復することは、神の望むところではないだろう。宗教について誤った見識を持つ人を説得し、正しい道に導くことも、宗教の使命である。(真)
【関連書籍】
大川隆法著『理想国家日本の条件-宗教立国のすすめ-』幸福の科学出版
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=177
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