文部科学省が、国立大学の改革案を通達したことに対し、このほど一部のマスコミが「国立大学から文系がなくなる」と批判している。

その先がけは、東京新聞が報じた「国立大の組織改革案として『教員養成系、人文社会科学系の廃止と転換』を各大学に通達した」(9月2日付)という記事。この中で、「教養は無形の力になる」と、教養の大切さを訴える文系教員の声を伝えた。

これを受けて、ニュースサイト「LITERA」も、「(教育改革を進める)安倍にとって『学術研究を深める』ことなどまったく無意味で、社会のニーズに合った職業に就けるための教育こそが必要だと考えられている。ほとんど大学教育そのものの否定である」(10月1日付)と痛烈に批判している。

安倍晋三首相が進める教育改革が、文系学問そのものの軽視であるならば、確かに問題だろう。しかし、現在の学問には、「無形の力」と呼ぶには様々な問題点があることを見逃してはならない。

例えば、政治学であれば、戦後の多くの学者は、共産主義を奉じるソ連や北朝鮮を肯定するなど、国民をミスリードし続けてきた事実がある。今もなお、「憲法9条を護るべき」と主張する一部の学者は、警察と犯罪者の実力行使の区別さえできないでいる。しかし、そうした発想のままでは、国民の生命や自由を守るという正義の観点からの戦争まで否定することになり、最終的に中国による侵略を招くだけだ。

さらに、宗教学では、そもそも善悪の価値判断すら立ち入らず、様々な宗教の習俗を研究するだけにとどめている。その結果、オウム真理教のような犯罪者集団を逆に持ち上げる失態を犯した。まして、キリスト教とイスラム教に代表される宗教対立を、いかに解決すべきかを指し示すなどできないであろう。

現実社会の問題に対処できない学問であれば、実社会にすぐに役立つ理系を選ぶ人が増えても仕方がない。そうした現状に甘んじていれば、いくら国際化を進めても、日本に来る留学生は思うように増えないだろう。

学問の世界には、善悪を探究する態度を取り戻す必要がある。そのためには、善悪の起源である宗教教養が不可欠だ。既存の学問にメスを入れなければ、本当の教育改革にはならない。(山本慧)

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