安倍晋三首相は1日の衆議院本会議で、「いわゆる移民政策をとることは考えていない」と明言した。政府が検討している、来年度からの外国人労働者の受け入れ拡大に関して、野党からの代表質問に答えたものだ。

移民政策を示唆すれば、大変な追及を受けるため、安倍首相は方便として否定した可能性もある。しかし、国民的議論として、移民政策という選択肢を捨てていいのだろうか。

安倍首相が、今年6月に成長戦略に盛り込んだ「外国人労働者の受け入れ拡大」の主な目的は、2020年の東京五輪開催準備や東北復興に伴う人手不足を解消すること。あくまで、「労働力としての外国人」の受け入れだ。

しかし、そうした発想こそが、外国人政策の失敗を招く。ドイツなど欧州で、移民政策が民族対立や治安悪化などの社会問題を生んだ背景には、「単なる労働力としての移民受け入れ」がある。働かせるばかりで、外国人を自国の文化に融和させ、職能訓練などを行う教育・支援体制が不十分だったのだ。

そのため、職に就けずに生活保護を受ける外国人や、社会に溶け込めず、不満を持って犯罪に手を染める者が増えてしまった。これは、自国民として外国人を帰化させる「本当の移民政策」ではなく、単なる「外国人労働者の受け入れ」だったとも言える。

日本でも、外国人労働者が差別され、劣悪な労働環境に苦しむ実態などが、しばしば指摘される。厳しさのあまり職場から逃げ出し、そのまま日本に不法滞在する例もあるようだ。また、外国人労働者は「どうせ帰国するから」と、日本に帰属意識を持ちにくい。それが、社会に溶け込めない原因にもなる。結局、治安の悪化につながり、日本の中で外国人労働者へのイメージもさらに悪化する。

もちろん、一時的な労働力不足は補わなければならない。だが日本は、長期的な人口減少という大きな課題を抱えている。政府は「人口1億人維持」と目標を打ち出したものの、過去の延長線上の少子化対策で解決できる見込みは少ない。日本の繁栄に、外国人が必要なのは間違いない。

ここで必要なのは、「労働者を補充する」ではなく、「日本人を増やす」という意味での移民政策だ。

つまり、国籍を取得し永住する覚悟のある外国人を受け入れ、単なる労働力ではなく、一人の日本人として待遇する。外国人も、日本に骨を埋める覚悟だからこそ、文化に溶け込もうとするし、日本語も習得する。日本側も、文化や日本語を教え、職業訓練を行う制度を本格的に行える。また、反日的な国からの大量の移民を懸念する向きもあるだろうが、これは国家の当然の主権として抑制をかけることが可能だ。

こうした整合性のある移民政策を、海外での失敗を研究しつつ構築していくには、今から国民全体が真剣に議論し始めなければならない。(光)

【関連書籍】

2014年7月号記事 釈量子の志士奮迅 新しい「日本人創り」で「自由の大国」を目指せ

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2010年6月号記事 移民国家を目指せ!

http://the-liberty.com/article.php?item_id=58

2010年5月号記事 【日本を創ろう】人口は増やせる!

http://the-liberty.com/article.php?item_id=920

2008年7月号記事 求む!外国人

http://the-liberty.com/article.php?item_id=796