8月9日の「長崎原爆の日」の平和祈念式典で、長崎市長が読み上げる「長崎平和宣言」で、「集団的自衛権」の行使容認に対して懸念を示す内容を盛り込むことになった。この宣言は毎年、被爆者や有識者らで構成される起草委員会が内容を検討しているが、今年は、閣議決定された集団的自衛権の行使容認に対する懸念を示すかどうかで議論が続いていた。

起草委員会が7月初旬に行った最後の会合では、市が示した修正案に「集団的自衛権」という文言は入っていなかった。ところが、委員から「戦争ができる国に変わろうとしていることへの警鐘が必要」「今年の平和宣言で言及がないと逃げていると取られかねない」などの声が上がり、8月1日に発表された最終案には文言が反映された。

一方、8月6日に広島で行われる平和記念式典で、松井一実市長が読み上げる「広島平和宣言」では、「集団的自衛権」に言及しないという。ただ、松井市長は「日本国憲法の崇高な平和主義のもとで、69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要がある」という表現によって、集団的自衛権行使容認への懸念は「十分言及できている」と話している。

しかし、そもそも広島と長崎に原爆を落としたのはアメリカであり、まるで「原爆を落とされたのは自分たちのせい」と言わんばかりの、おかしな意識は改めるべきだ。国防の危機を迎えた日本が、国防を強化するのは主権国家として当然のことである。

集団的自衛権をめぐっては、マスコミを中心に「個別的自衛権で十分。集団的自衛権の行使を容認してしまえば、アメリカの起こす戦争に巻き込まれる」などの批判がある。だが、「個別的自衛権だけしか認めない」ということは、「どんな強大な国が攻めてきても、日本は自分の力だけで何とかします」と宣言するに等しい。「価値観が近い国が助け合って、お互いを守り合いましょう」という集団的自衛権を選択する方が、防衛面でも費用の面でも明らかに優れている。

原爆投下の悲惨さを訴えることは重要だ。しかし、それと「集団的自衛権」を否定することは全く別問題である。いやそればかりか、集団的自衛権を行使しなければ、他国に日本を攻めやすくさせるという意味で、原爆投下以上の悲惨な結果を招きかねない。

現実の軍事的脅威である中国や北朝鮮を押しとどめるためにも、世界で唯一原爆投下の被害を受けた長崎と広島は、「他国に対して侵略のために、核兵器を使うことがないように」というメッセージこそ発信すベきだ。(晴)

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