米紙ウォール・ストリート・ジャーナル電子版が、「グーグル(Google)は神(God)にとって代わるか」という興味深い記事を掲載している。

オーリン工科大学のアレン・ドーニー教授が様々な社会調査結果を研究したところ、アメリカで「宗教に所属しない人」は、この20年ほどで8%から18%にまで増えており、その変化が「インターネットの利用時間が増えたこと」に相関していることがわかったという。

アメリカ人の大部分は神を信じていることから、これは宗教観の変化ではなく、「特定の教会や宗教コミュニティーなどに通っているかどうか」という、ライフスタイルの変化に近い。

同記事では、その変化の背景に、「インターネットを使えば、同じ趣向を持った人々のコミュニティーに簡単に参加できるようになったため、所属意識を求めて聖書勉強会や礼拝に参加しなくてよくなった」「何でも即座に調べられるようになったので、人々の中に、宗教で培う忍耐や思慮深さと相容れない精神が生まれている」ことなどがあると推測している。

さらに、この「グーグル(Google)が神(god)に取って代わっている」状況に対して、「フェイスブックやグーグルはデータの収益性に関心があり、魂の状態には関心がない」「インターネットが答えてくれないものは、知られなくなる危険性がある」などと問題提起している。

つまり、インターネットは所属意識を満たし、様々な情報を瞬時に入手するのに役立つかもしれないが、宗教で教える「人生や魂にとって本当に必要なこと」は教えてくれなということだ。それにも関わらず「インターネットが宗教に取って代わっている」とすれば、現代人が宗教の本当の意義を忘れているということだろう。

人生の悩みを最終的に解決してくれるのは「情報」ではない。例えば、インターネットには就職情報が溢れているが、「自分は人生の中で、どんな仕事がしたいのか」は検索できない。人間関係の悩み相談もインターネット上に溢れているが、そこで提示されるアドバイスを見ても、実際に悩みが解決されることは少ない。

そうした人生の悩みを解決するのは、本来、宗教である。仏教書をじっくり読みながら人生の目的を考えたり、禅や瞑想で自分を見つめる中で、本当にやりたい仕事を見つけたりすることもある。教会で祈りながら「神の愛」を感じることで、他人に対して優しくなれたり、人生の試練に打ち克つ勇気を得たりすることもある。

宗教で行う儀式、勉強、瞑想は、「智慧」ともいうべき人生の答えを与えてくれる。それは、心の底からの確信や実感をともなう智慧であって、「情報」とは異なるものだ。インターネットで代替できるようなものでは決してない。情報技術の進歩は生活を劇的に便利にしたが、宗教的な時間の意義を問い直す必要性も、それだけ高まっていると言えるだろう。(光)

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