2014年6月号記事
アメリカ人が語る 「日本の戦争は正しかった」
欧米こそ歴史の見直しが必要だ
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中国が日本をナチスになぞらえて批判している。だが実は、日本は当時、国策としてナチスの迫害に遭っていたユダヤ人を救った、世界で唯一の国だった。しかも、日独は同盟関係にあったにもかかわらず、である。さらに、ユダヤ人救出を主導したのが、後にA級戦犯で死刑となった人々であった。戦後、日本に滞在した経験のあるアメリカ在住のラビ(ユダヤ教の教師)であるマーヴィン・トケイヤー氏に、当時の日本がどういう経緯でそうした人道主義的な行動をするに至ったかについて聞いた。また、ネットで話題のテキサス親父(トニー・マラーノ氏)に、「従軍慰安婦」問題について聞いた。
アメリカ現地インタビュー
A級戦犯はユダヤ人を救ったヒーローだった
ユダヤ教ラビ
マーヴィン・トケイヤー
(インタビュアー 綾織次郎、長華子)
(マーヴィン・トケイヤー)
1936年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。イェシヴァ大学を卒業後、1968年に来日、日本ユダヤ教団のラビ(教師)となる。著書は、『ユダヤ製国家日本』(徳間書店)、『ユダヤと日本・謎の古代史』(産能大学出版)、『日本・ユダヤ封印の歴史』(徳間書店)、『ユダヤ5000年の知恵』(講談社)、『ユダヤ人5000年のユーモア』(日本文芸社)など多数。
──日本はドイツの同盟国でした。
トケイヤー (以下、 ト ): 大戦当時、他の欧米諸国でさえホロコーストに苦しむユダヤ人を助けるどころか、積極的に差別しました。ですから私は、「ナチスドイツの同盟国だった日本は、なおさらユダヤ人を差別し、弾圧しただろう」と思い込んでいました。
──なぜ考えを変えたのですか。
ト : 歴史を研究していく中で、日本はユダヤ人を助けた唯一の国だと分かったからです。
満州でユダヤ人を助けた「A級戦犯」
ト : 1938年1月、満州に駐留する日本軍は、八紘一宇の精神のもとに、ユダヤ人を平等に扱うという「対ユダヤ民族施策要領」を策定しました。
その後すぐ、満州の樋口季一郎少将は、「満州の国境に数千人から約2万人のユダヤ人難民が押し寄せている」という連絡を受けます。ヒトラーの迫害を恐れ、リトアニアやポーランドから、シベリア鉄道経由で逃げてきた人たちでした。
──彼らはビザを持っておらず、本来は満州に入れません。彼らの入国を認めるのは、ナチスドイツとの関係上も危険でした。
ト : しかし樋口少将は、以前からナチスのユダヤ人弾圧を許せないと思っていました。彼はユダヤ人救出を決断しました。ユダヤ人に貢献した人たちを讃える「ゴールデンブック」には樋口少将の名もあります。
──ユダヤ人の救出は、樋口少将が独断で行ったのですか。
ト : まさか、そんなことはできません。 実は、先に述べた「要領」の決裁者も、ユダヤ人救出の責任者も、関東軍司令部参謀長の東條英機でした。上司である東條が認めなければ、樋口少将は動けません。絶対に無理です。何かあったら責任を取るのは、樋口ではなく東條ですから。 このことは、ユダヤ人の中でも私ぐらいしか知らないことです。