2014年2月号記事

『忍耐の法』特集

「常識」を逆転せよ!

唯物論者たちの回心.3


contents


Part 2.

医者は皆「唯脳論」なのか?

唯物論の傾向が強い科学の中でも、脳や遺伝子を人間の本質と考える医師は多い。唯物論のままの医師と、そこから目覚めた医師とでは何が違うのだろうか。

唯物論医学では知り得なかった永遠の生命の尊さ

原田善仁さん

熊本県 48歳 整形外科専門医

医学部3回生の時に、霊的な世界を信じるようになりましたが、それまではいわゆる唯物論者でした。

父親は先祖供養系の宗教をやっていて、毎日お参りしていましたが、私はそれを斜めから見ていて、「自分は関与しないぞ。誘わないでくれ」と思っていましたね。

目に見えない世界にすがるよりも、自分の努力で人生を生きたいし、 「人間はこの世限り」というのが世間の常識ですから、それにどっぷり浸かっている状態でした。

医学部に進学してからは、友人たちも霊的なものはキワモノ扱いで、生理学などの講義も、人間の心も何もかも、すべて脳に本質があるという考え方で組み立てられていました。

確信と新たな葛藤

私が壁にぶつかったのは、生理学よりも解剖実習を始めてからのことでした。人間の体は最後にはバラバラになって、火葬すれば犬の餌にもならない状態になります。 その肉体が人間のすべてなら、自分の志している医学にどんな意味があるのだろうかと、疑問を拭えず、内省的になっていきました。

死ねばすべてなくなるならば、人間の生きる意味は何なのだろうか──。悩んでいる時に、寮の同じ部屋の友人から大川総裁の書籍『谷口雅春霊示集』(注)を渡されたのです。「霊言なんて怪しい。あるわけない」と思いましたが、友人が「読むと明るくなれるよ」と言ってくれたので軽い気持ちで読み始めました。

しかし、 頭をガツンと殴られたようなショックを受けました。1章を読み終わる前に体が熱くなってきて、涙が溢れ出てきたのです。 医学的には説明できない現象で、初めての神秘体験でした。

このとき確信したのは「生命は永遠なのだ」ということです。何か高いハードルを超えたような感覚で、これまでの人生観が崩れていきました。でも、それは新たな葛藤の始まりになり、約半年ほど苦しむことになりました。

出口ではなく入口を見つける

あの世の世界は、科学で証明できないですし、「自分は少数派の人間として、変わり者と呼ばれるのだろうか」という不安がありました。大学で勉強している内容からもかけ離れているので、 「これ以上関心を持たない方がいい。今までの価値観がどんどん崩れていく」という恐怖心もありました。

大学の講義では相変わらず、人間を機械の部品の集まりと見る、唯物論的な西洋医学が刷り込まれるので、「一体どっちが本物なんだ」という葛藤が続きました。

その一方では、「自分が生まれてきた意味を知りたい」という思いから、大川総裁の書籍に書かれている反省行を重ねました。その中で、温かい光を感じたり、罪が許されて心が軽くなる感覚を繰り返し実体験したことで、「新しい世界に飛び込むのは怖い」という思いが徐々に薄れていきました。

そして、 「逃げようと思うんじゃなくて、ここを入口だと思って立ち向かい、新しい人生を開けばいいんだ」と決意したとき、未来が明るく開けていく感覚、力強い喜びに包まれました。 心の奥からも「そうだ、それでいいんだ」という魂のうずきが出てきて入信することを決意しました。

「本当のことを知りたい」という思いに素直に向き合うことが大事だったと感じています。 (談)