2013年11月号記事

シリーズ 富、無限 第6回

一代で巨大企業グループを築き

巨万の富を得た岩崎弥太郎。

いったいどうやってその富を生みだしたのか──。

その成功の秘訣を探ると

「強欲な実業家」といった一般的なイメージとは

全く違う姿が浮かび上がってくる。

近代日本の発展に貢献した「魂」の真実に迫る。

(編集部 馬場光太郎)

三菱グループ創業の父 岩崎弥太郎

巨富への道の歩み方

日本最強の企業家

今や日本中で目にするスリーダイヤマーク。岩崎家の家紋「三階菱」と土佐山内家の家紋「三ツ柏」の組合せに由来する。「三菱」という社名はこのマークにちなんで付けられたもの。

各企業の総資産ランキング上位を独占する三菱グループ企業(2013年3月)

金融、商社、不動産、金属鉱業、海運──。このすべての業界でトップに君臨するのが三菱グループだ。三菱電機、三菱重工業、三菱ふそう、三菱自動車のほか、東京海上日動火災保険、明治安田生命保険、キリンホールディングスなども三菱グループであり、まさに日本最大の企業グループである。

この巨大コンツェルンを創業したのが岩崎弥太郎だ。弥太郎は1835年に土佐藩安芸に生まれた。32歳で土佐藩の貿易組織・土佐商会長崎出張所に赴任し、主任となる。明治維新後の廃藩置県に伴い、同会は弥太郎個人の海運業社となり、1873年に「三菱商会」と改名される。弥太郎は日本にとどまらずアジア・ロシアにまで汽船輸送航路を開設。当時の日本の汽船総トン数の73%を占め、「海運王」と呼ばれた。弥太郎が亡くなった1885年には、郵便汽船三菱会社の資産は国家財政の11分の1の規模となっている。さらに海運を軸に金融・保険・倉庫・造船など多角展開し、江戸時代から続く三井、住友を凌駕する。一代で日本最大の財閥を築いたのだ。