日本が戦後、主権を回復したのはサンフランシスコ講和条約(1951年締結、52年発効)によってである。ソ連などから「日本を分割統治すべし」「日本の自由を制限せよ」と強硬案が出る中で、セイロン(現スリランカ)のジャワルナデ代表(後の大統領)は「ソ連には賛同できない。わが国は日本への損害請求を放棄する」と演説し、日本の国際復帰を強力に後押ししてくれた。

スリランカは、16世紀にポルトガルの植民地にされて以降、オランダ、イギリスへと譲渡され、第2次大戦中もイギリス領だった。そのため日本軍が進出するとスリランカも空襲によって被害を受けた。

戦後、1948年に英国自治領セイロンとして独立。サンフランシスコ平和会議には日本を含む52カ国が参加したが、ソ連など3カ国は反対し、調印しなかった。その中で小国セイロンの代表ジャワルナデ氏が、ソ連に真っ向から反論する演説をしたのだ。

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