書くかどうか迷ったが、書くことにする。

普段からお世話にもなっており、尊敬もしている保守論壇の大御所のW氏が13日付毎日新聞で、インタビューに答えて「正義と政治は違う」と言っていた。衝撃を受けた。

W氏は、従来から安倍氏の再登板を望んでいた。本人に再度首相になるべしと迫ったこともあったと言う。念願かなって、見事首相に返り咲いたわけだから、さぞかし、期待しているに違いない。実際、安倍首相を応援する本も1、2冊書いている。

しかし、記憶違いでなければ、村山談話の修正こそが、W氏が安倍首相に期待していたキモの一つであった。安倍氏も普段からそれを明言していた。にもかかわらず、参院選を控えて、安倍首相は村山談話を継承することにした。

さぞやW氏も落胆しているだろうと思っていたら、インタビューを読む限り、案外そうでもないらしい。今なお期待していると言う。

インタビューでは、W氏はこう言っている。

「正義と政治は違うんだ。政治はタイミングとかもろもろの要素を掛け合わせてやらないといけない。政治家に単細胞みたいなことを言ってもしょうがない」

政治家は単純に信念を口に出せばよいというわけではなく、状況を見て、タイミングを見て、時には言うべきことを伏せたり、ぼかしたりしても、仕方がない。政治とはそういうものであり、ストレートに正義を語るものではない――ということなのだろうか?

正直、がっかりした。

現実の政治は確かにそうだろう。ストレートに正義を語るのは、たとえそれが正論でも、「ばか」がつく正直でしかないというのが現実だ。

しかし、曖昧なぼかし表現で政治家が自らの意志を語れば、一般の有権者は何を言っているのか分からない。だから、“評論家"と称する人が出てきて、「あれは、こういう意味なのだ」と解釈してみせる。政治家は、表で言う建前とは別に、裏で本音の交渉をする。政治がますます庶民から離れていく。投票率は下がり、政治に対する信用は失われていく。

これが今日本の政治がかかっている慢性病なのだ。

幸福実現党は、宗教政党として、この慢性病を治癒すべく登場した。そして、バカバカしい政治の茶番をぶち壊すべく、正義を真正面から語っている。正義を実現することこそが政治の仕事であると愚直に実践してみせている。

そんな姿に、一部の保守系の議員は、二枚舌を使わざるを得ない自身の現状に良心の呵責を覚え始めているという。

W氏は、おそらく、一流の懐の深さでもって、安倍首相の“政治的判断"を容認しているのだと思う。それをいちいち、あげつらうのは青臭い姿勢なのかもしれない。

しかし、それでも、「正義と政治は一致する」と訴えたい。今、日本に欠けているのは、まさにこの点であり、これが国難を呼び寄せている根本原因の一つだと思うからだ。(村)

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