中国の専門家による「『馬関条約(下関条約)』と釣魚島(魚釣島)問題を論じる」と題する論文が8日、中国共産党機関紙の人民日報に掲載された。同論文は尖閣諸島の領有権が中国にあると主張し、最後に「琉球(沖縄県)にも領有権問題が存在する」と、沖縄県そのものについても領有権を主張する構えをちらつかせている。9日付各紙が報じた。
中国外務省は8日、定例会見で「琉球と沖縄の歴史は(中国の)学会が長年にわたって注目してきた問題だ」と発言。直接この論文に言及はしなかったが、通常、国営メディアの論文の内容は中国共産党の考えとみなされる。
同論文は、日本の国立国会図書館外交防衛課の浜川今日子氏の論文「尖閣諸島の領有をめぐる論点」から一部を引用し、日清戦争後の1895年の下関条約締結時に尖閣諸島は「台湾に付属する島として日本に割譲された」と主張している。中国は現在、台湾を中国領と主張しているため、「台湾に属する尖閣諸島も中国のもの」と言いたいらしい。
実際には浜川論文は、1895年までに日本で発行されていた地図で尖閣諸島が日本領と明記されていたことなどの論拠を上げ、「条約締結時、日本と清はともに尖閣諸島が日本領であるという前提で議論していた」と結論づけており、今回の論文とは正反対の結論だ。
また、下関条約以前の1880年に日本は清に対し、尖閣諸島を含む先島諸島の割譲を条件に、日清修好条規への最恵国待遇追加を提案したが、清側に反対意見が出て妥結されなかった。つまり、中国側が尖閣の領有権を断っていたのだ。
人民日報の論文は、琉球は独立国だったが、日本に武力で併合されたと主張している。しかし、沖縄県が日本の領土であることは歴史的に疑いようのない事実である。
さかのぼれば、琉球王国は1609年頃、薩摩藩が攻め込んで薩摩藩の属領となった。当時、琉球王国は清朝にも朝貢しており、日本と中国の2国を事実上の宗主国としていた。
明治初期、宮古島の住民が台湾に漂着し、うち54人が原住民に殺されたことを受け、日本政府は清に訴えたが、清が取り合わなかったため台湾へ出兵した。その後、日清は正式に「琉球は日本の領土、台湾は清の領土」と取り決めた。結果として日本は1879年の「琉球処分」で、琉球王国を沖縄県として組みこんでいる。戦後の1972年には沖縄県はアメリカから正式に返還され、日本の領土であることに異論を唱える余地はゼロだ。
中国は1971年ごろから尖閣諸島の領有権を主張し始め、沖縄についても昨年ごろからちらちらと言及してきた。今回それを改めて打ち出し始めたのは、尖閣に対するここまでの日本の弱腰ぶりを見てのことだろう。経済力や軍事力を背景に、勝手な理屈で他国の領土を奪おうとする感覚は、今日の国際社会にあっては異常と言うしかない。
尖閣どころか、沖縄そのものが日本に属するという当たり前のことを、日本政府は主張しなければならなくなるのか。4月28日の本土回復の日に加え、5月15日の沖縄返還の日も大々的にPRすべきのようだ。(居)
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