早稲田大学の学園祭で3日に行われた講演会「早稲田生よ、大志を抱け!」(主催:早大Happy Science)で、9月18日に泳いで尖閣・魚釣島への上陸を敢行したロック・ミュージシャンのトクマ氏(幸福実現党青年局長)が、同党女性局長の釈量子氏と対談した。トクマ氏はオリジナル曲3曲も披露した。前編・後編に分けて、トクマ氏の学生への熱いエールを紹介する。
釈 1億2500万人の日本人がいるなかで、尖閣上陸をやってのけたのは2人だけなんですね。魚釣島に近づいて、船から海に飛び込んだ時の心境は、どうでしたか?
トクマ すべて捨てて、「もう、後戻りできない」「命を捨てた」感じでしたね。だから、今、僕はもう「おばけ」なんですよ。生きているのかどうか、よくわからないんです(笑)。けど、すごく自由になりました。
これまで僕は、生きるために必死だった。それで力が入りすぎちゃって、人生に溺れていた。人は、自分を守ろうとすれば守ろうとするほど、力が入って不自由になって、生きづらくなります。「いつ死んだっていい」というくらいの気持ちで行ったほうが、目的地にたどり着けるってことを体感した。
だから、僕は今のほうが自由です。この自由を皆にも知ってもらいたいんだよね。
みんなは今は学生だから、生きるための技術を身につけるので必死だと思う。それは必死でやってもらいたい。僕が今回起こした行動、突拍子もなくやったと思われているんですけど、6年間、体を鍛えるためにプールに通い、15年間、サーフィンをやって、潮の流れが全部分かるんですよ。そのひとつひとつの準備が、いつ来るかわからない「飛び込む瞬間」がやってきた時に、逃げるか、つかむかを左右する。そのために、小さな成功体験を積んで、準備もして、自信をつけて欲しい。
「飛び込む瞬間」が、いつ来るかわからないのが辛いんだけどね。逆にオリンピックの選手なら、目標が決まっているから、それに向けて順序立てて準備できる。僕みたいに音楽をやっている人間は、いつ何が起こるか分からないですから。
魚釣島への上陸で何が頼りになったかというと、自分の経験と体力と、「自分は生きて帰れる」という確信ですね。これが、今の僕をつくっているんだよね。今、学生の皆は、勉強するのは辛いかもしれないけど、全然無駄じゃないから。ぜひ身につけてね。いつかそれを公のために使う時が来るから。その時は迷わず、ニヤッと笑って飛び込んで、それぞれの「魚釣島」に上陸して下さい。
釈 子供の頃から音楽をやりたいと思っていたんですか?
トクマ 僕、親父の転勤で3歳の時にニューヨークに行って、5歳で帰ってきた。ただ、感覚として、アメリカにはすごく「自由と発展」を感じたね。子供だから、頭じゃなくて、全身の毛穴で雰囲気を受け止めてるんだけど。それが、日本に帰ってきてからは、「狭くて窮屈」って感じた。でも、子供だからそれを言葉に表せないんだよね。
テレビでピンク・レディーとか世良公則さんとか歌手が歌っているのを観た時に、「いいなあ、この人達、気負ってないし。違う場所で生きているって波動が出ている。僕もあそこに行きたい!」って思ったけど、恥ずかしくて言えなかった。中学・高校の頃とか、「プロの歌手になりたい」なんて、すごく恥ずかしいじゃないですか。本当に歌手で食っていけるのか、という迷いもあるし。
ただ、みんなに言っておくけど、今、生きていくための術として勉強しているのであれば、はっきり言うけど、その学問、身につかないよ。やっぱり、子供の頃に漠然と抱いていた夢を思い出してほしいね。何をやっても、本当に好きでやっているヤツには勝てないから。
僕も、歌手になるという夢を捨てようと思ったことがあるよ。「そんなので飯食えない」って言われて。皆、夢を持っていても、この言葉にやられて諦めちゃうんだよ。けど、「それでも食ってやる!」というぐらいの開き直りでやったらいいよ。(後編に続く)
【関連記事】
尖閣に上陸した大和魂ロッカー - トクマ 特設ページ
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5084
トクマ尖閣上陸ライブ動画
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4889
公開対談抜粋レポート 尖閣に上陸したミュージシャン・トクマが日本と東京の未来を語る