関西電力大飯原子力発電所3、4号機が再稼働される見通しとなるなか、このほど全国の宗教、宗派を超えて結成された「原子力行政を問い直す宗教者の会」(事務局・兵庫県)が、「大飯原発再稼働に反対する要望書」を福井県知事に提出した。

要望書では「フクシマ原発震災の悲しみを共有すること」と「原発稼働は被曝(労働者・住民)が前提となる愚かさに目を覚ますこと」の2点を訴えている。

その内容は、「フクシマへの無反省・無感覚は<いのち>の尊厳を見失っている」ため、「知事は国の意向の伝達者となることなく……原子力政策の見直しを求めること」。さらに、先の大戦は「絶対化された神話のもとで武力によって<いのち>を傷つけた」戦争であったことに触れ、原発は「この歴史に重なる迷いの構造を抱えて」おり、「必要でないのに必要だと思いこまされてきた」結果、弱い立場の人々が犠牲をおしつけられてきたゆえに、再稼働は愚行であることを訴えている。

宗教者が弱者へ目を向けることや正しい判断基準を時の政権に与えることは大切なことであるが、その思想が左翼の思想と完全にマッチしてしまっている。左翼思想と宗教は本来、相容れないはずだ。

それは行き着くところ、「この世で生きるということは、どういうことなのか」という宗教最大のテーマが問われる部分でもあるのだが、原発再稼働に反対する論旨は左翼思想と同様、神仏やあの世を否定し、この世だけしか見ない唯物論に端を発している。

幸福の科学は宗教界で唯一、原発を肯定していると言っていいが、その背景には、「人は永遠の生命を持った存在であり、この世に何度も生まれては人生修行を繰り返し、この世の幸福化を目指している」という霊的人生観がある。

つまり、この世の肉体生命を絶対視していない一方で、この世の発展も願っているため、原子力発電という科学技術の進歩も積極的に認めている。未来は信仰と科学が融合した社会となっていくだろう。(純)

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