自他の死に直面して苦しむ人の心に寄り添い、ケアする宗教者を育成するための専門講座、「実践宗教学寄付講座」が今月、東北大学にできた。学部生や院生に加え、僧侶や神官などに、心のケアに関する実践的な講習会を開く。
東日本大震災後、牧師や僧侶らが、家族を亡くした被災者から話を聴く「心の相談室」をつくって活動してきた。その事務局を東北大に置いた縁で、同大で開講されることになった。国立大学では初めてのケースという。
28日付日経新聞はこの件を報じ、同講座を発案した鈴木岩弓教授(宗教民俗学)の「死後や霊魂の話ができることが、宗教者と医師の最大の違い」という言葉を載せている。震災後に流れた、海の中に目が見えるという噂などを「気のせい、錯覚というだけでは鎮まらないのが人間の心。死がすべての終わりではない、という価値観を語れる宗教者にしか担えない役割はある」(同教授)とも。
同記事は東京大学の島薗進教授(宗教学)の、「宗教学は『アクションリサーチ』(実践的研究)へと変わりつつある」とのコメントも載せている。戦後日本の宗教学は、価値中立を主張するフィールドワーク的なスタンスが基本だった。そこに、人の心をケアしたいという実践面が加わることは、宗教学にとって新たな試みと言える。
だが鈴木教授の、死後や霊魂の「話ができる」とか、死がすべての終わりではない「という価値観を語れる」といった言葉づかいには、死後の世界や霊があるかどうかという最重要のテーマを主観的な物語に近いレベルで捉えているフシが伺われる。死後の世界は、「信じる人にとっては存在する」といった、あやふやなものではない。あるかないか二つに一つ、100%か0%のどちらかだ。
死後の世界や霊の存在を信じ、その世界をすべる神仏を信じることで、人は死別の悲しみや死の恐怖から真に救われることができる。宗教学の「実践的研究」が、そうした真理への謙虚な探究につながることを望みたい。(居)
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2012年3月号記事 宗教蔑視の風潮をつくった 「東大宗教学」の呪縛
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3724
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