英フィナンシャル・タイムズ紙のコラムニスト、デビッド・ピリング氏が、中国広東省で2歳の女児がひき逃げされたまま路上に放置された事件についてコラムを書いている。結局のところ、「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」と語り、経済発展を無条件に追求したトウ小平の政策に問題があったのではないかと指摘している。以下要点。

  • あるブロガーは「経済は発展したが、モラルは後退した」と書いた。中国の作家・ジャーナリストのリージャ・ザング女史は、「中国人は見知らぬ人に対して自発的に優しくする文化がなくなった」と語っている。
  • 女児の事故のケースだけでなく、今の中国に人を助ける動機が働かないのは、人々がそう教育されてこなかったためだ。儒教や仏教、道教など古い規範が毛沢東時代に解体され、共産主義に取って代わられた。しかしそれも今は存在せず、富と権力が露骨な利己主義を生む、未熟な資本主義となっている。
  • トウ小平が1978年から改革解放を始め、中国ではお金が成功にとって不可欠なものとなった。
  • 女児の事故のようなモラルが欠如した事件は、人々により大きなモラルの空白を認識させた。トウ小平はモラルを置き去りにする人ではなかったが、彼は「金持ちになることはよいことだ」と周りに語っていた。

大川隆法・幸福の科学総裁のリーディング(幸福の科学出版『アダム・スミス霊言による新・国富論』所収)によると、トウ小平氏は地獄に堕ちており、ナチス・ドイツのヒトラーとも会ったことがあると語っている。このリーディングの後で大川隆法総裁はこう指摘した。「トウ小平は本当の意味での唯物論者ですが、『唯物論は金儲けにも使える』ということです。そして、唯物論者の金儲けは、宗教的には最悪の結果になるわけです」

国家としての経済発展や個人が豊かになることが宗教的な精神に裏打ちされていなければ、不幸を生むということになる。現代の中国には、かつての仏教に代わるような宗教精神が必要だ。(織)