大川隆法総裁 愛と希望のメッセージ

明るく生きる決意をする

明るく生きるふりをするだけでは駄目です。笑っているふりをし、顔の表情だけは明るくても、心のなかが、どろどろとしていたり、憎しみの塊であったりしていては駄目なのです。
もちろん、最初は、「目や口によって明るい表情をつくる」というような外面から始めるべきでしょうが、しだいに、それを心のなかまで落とし込んでいくことが大事です。そのような努力をしなくてはなりません。
「心のなかまで明るいものに変えていこう。自分は明るい人間になろう」と、繰り返し何度も思っていると、だんだん潜在意識に影響が及んできて、それが深く浸透してくるのです。
(中略)
過去の事実を変えることができないならば、考え方を変えましょう。心の向きを変えましょう。心の思いを変えましょう。それは可能なはずです。心は、あなたの自由になるからです。

大川隆法 月刊「幸福の科学」08年1月

一条の光

どんよりと空が曇って
肌寒い朝。
気がめいり、
憂うつになり、
今日の一日から
逃げたい気持ちになる人も
あるであろう。
みじめな一日の始まりに
不安と絶望とで
心揺れる人も数多いであろう。
しかし、
雲が裂け、
天上から一条の明るい光が
射し来たった時、
世界は一変する。
すべてが一変する。
樹木は明るい緑に輝き、
花たちは笑顔であいさつを始める。
これが信仰の力だ。
これが仏の大悲だ。
あなたの心にも、一条の光よ、射せ。
あなた自身も、一条の光となれ。

大川隆法 心の指針「一条の光」

蜘蛛の糸ほどの信仰があれば

困難の中にある時、
人は苦悩し、
憔悴し、
疲れ果てる。
口からは、
否定的な言葉しか出ず、
明日を信じる勇気もなくなる。
しかし、
私は断言する。
あなたに、
蜘蛛の糸ほどの信仰さえあれば、
仏は、あなたを、
軽々と助け上げられると。
まず、信じなさい。
つぎに、リラックスしなさい。
仏は、必ず、
問題を解決してくださると思いなさい。
仏の救いを信じて、
明るい前向きの心を持ちなさい。
今、与えられていることに、感謝しなさい。
これからは、
無理をせず、
あなたにできることを、
ゆっくりとやっていきなさい。
揺るぎない信仰の前に、
困難などないと、信じなさい。

大川隆法 心の指針「蜘蛛の糸ほどの信仰があれば」

苦難や困難は、魂を光らせるための砥石

しかして、諸人よ、
あなたがたは、不幸のさなかにあって嘆き悲しんではならない。
不幸のさなかにあってこそ、
あなたがたは中道に入る資格が生まれてくるのだ。
不幸のなかにあって、あなたがたの多くは、
自分の人生を悔いているであろう。
自分の過ちをつくづくと、つぶさに観察したことであろう。
自分の情けなさを、身にしみて感じたことであろう。
そのような時、あなたがたは、
まもなく黄金の道に入る準備をしていると言ってよいのだ。
あなたがたは、失意のなかから、また立ち上がらねばならない。
なぜならば、あなたがたも、また、仏の手足であるからだ。
あなたがたも、仏の偉大なる生命の一部であるからだ。
そうしたあなたがたであるならば、
決して失敗ということは、この世にないのである。
決して挫折ということは、この世にないのである。
決して不幸のまっただなか、不幸のどん底ということはないのである。
そのような失敗や、挫折や、不幸と見えるものは、
すべて、あなたがたの魂を光らせるためにこそあるのだ。
魂を光らせるための砥石であるのだ。
このように考えてゆきなさい。
これが仏法の根本であるのだ。
私は、苦難や困難を、この世に存在しないとは言わない。
また、苦難や困難が、あの世に存在しないとも言わない。
しかし、苦難や困難は、それ自体が善としてあるのではない。
それ自体、存在が許されてあるのではない。
私は、そう思う。
苦難や困難は砥石としてのみ、存在が許されている。
苦難や困難は、魂を磨き、魂を光らせるための、砥石であり、
魂を光らせるがための、サンドペーパー、
そう、やすりでもまた、あるのだ。
人びとよ、このように捉えてゆきなさい。
さすれば、今、苦境のなかにある時に、
運命があなたに何を教えんとしているのかを知りなさい。
運命の教えんとしていることを知り、
そして、それを自らの糧としなさい。

大川隆法著『仏陀再誕』第2章

震災で亡くなった人も、街が復興する姿を見て、悟っていく

震災などで亡くなっても、あの世を信じていた人、たとえば、幸福の科学の教えを信じていた人の場合には、たぶん、じきに成仏するはずです。それは大丈夫です。
ただ、生きていたときに、宗教とか、あの世とかを、全然、信じていなかった人、そういうものを否定していた人は、震災などで亡くなると、何が起きたのか、なかなか分からないので、すぐには成仏しないと思います。生前、宗教やあの世を否定していて、突如、亡くなったような人は、生前の生活に執着しているので、平均して三年程度は、だいたい、地表近くで、うろうろしているものです。
彼らは、「何が何だか分からない」という状態なので、導きの霊でも、なかなか彼らを導けません。これは、交通事故などの場合でもよくあるのですが、いきなり死んだ人は、「どうしたのか。何が起きたのか」ということが分からないわけです。
宗教的なことを知っていた人は、死後、わりに成仏が早いのですが、そういうことが分からない人は、死んだときのままの状態が数年ぐらい続くことが多いのです。 (中略)
それから、震災などで死んだ人のなかには、死んだときのままで時が止まってしまう人がたくさんいますが、そういう人は、街が復興していく姿を見ていて、だんだん悟ってくることもあります。しだいに街が復興してきて、普通の状態に戻ってきたら、だんだん悟ってきます。多少、時間がかかるのです。

大川隆法著『永遠の生命の世界』第2章

浮上する心

事実だけを見つめたら、
実人生が、とても重く、暗く、
感じられることがあるだろう。
自分自身が情けなく、
恥ずかしく、
塩をふられたナメクジのように、
消えてしまいたいこともあるだろう。
実際、
何人かに一人は、
自殺したい衝動にかられたこともあろう。
だが、ここに、
一つの技術がある。
自分の心を励ますのだ。
心を浮上させるのだ。
では、どうやって、と、
あなたは問うであろう。
想念(おもい)こそ、
魂の活動そのものだと知って、
善きことを、想い、想い、
念じ続けるのだ。
「自分は、素晴らしくなりつつある。
未来は、明るくなりつつある。」
と、繰り返し、心に刻みつつ、
悲観的な言葉や感情は、受け入れないことだ。
持続的な想念は、必ず現実化すると、
信じきることだ。

大川隆法著 『心の指針』「浮上する心」

今日を生き抜け

悩みの中にある時、
過去のことを思い患うのは、
もう止めにしよう。
過去は過去。
もう過ぎ去ったのだ。
大切なことは、
その思い患いによって、
今日の生きるエネルギーを、
すり減らさないことだ。
過去の失敗や、
判断の誤りが一体どうしたというのだ。
他人からいろいろと酷評されたからといって、
それがどうだというのだ。
あなたは今日も生きている。
あなたは昨日の時間を使うことも、
明日の時間を使うこともできない。
あなたが手にしているのは、
今日の二十四時間だけだ。
あなたに必要なのは、今日の糧。
あなたに必要なのは、今日の仕事。
ならば、
今日一日を生ききれ。
未来など何だ。
明日の仕事は明日やればよい。
今日を全力で生き抜くのだ。

大川隆法著 『心の指針』「今日を生き抜け」

死別の時

死はとても悲しいものだ。
そして、切ないものだ。
生ある限り、
生物は生き続けたいものだ。
人間とて同じ。
生き続けんとして、
いつしか、病か老衰につかまり、
死の使者に連れ去られる。
死は、夫婦の仲を引き裂き、
親子を会えなくしてしまう。
愛別離苦の苦しみを、
頭では理解していても、
やはり、ハラハラ、バラバラと、
涙は、とめどなく流れ落ちる。
身内への愛は、
ほとんどが執着であると教わっても、
仏陀の言葉さえ、非情に響く。
この世の命が尽き、
愛する人と別れるのは、
苦しくも、切なく、哀しい。
わかっている。
そうであろう。
だが、人は死の下に平等なのだ。
来世での再会を、
心の支えとせよ。

大川隆法著 『心の指針』「死別の時」

人間には無限の力がある

ほんとうは、ここで力が尽き果てたと思うときにも、心の底からふつふつと湧いてくる力があるのです。
そのようなものが地下水となってみなさんの身体のなかに流れているのです。
みなさんは、刀折れ矢尽きたと思うかもしれないけれども、まだその底に力が残っているということです。地上からは水は涸れたように見えても、実は地下においては伏流水となって流れている。
このような地下の湧水があるということを知らねばなりません。

そうであるならば、いま困難のなかにある人も、力尽きたと思ったときにも、自分の底の底にはまだまだ力があるのだということを、そして、これを汲み出す必要があるということに気づかなくてはいけないと思います。
人間の力はそんなに有限なものではないのです
人間の生命力の奥には、さらに本源の神へとつながる大きなパイプがあるのです。
そこから流れてきている力があるのです。
これは押しとどめることができない力なのです。必ず何らかのかたちで出てきます。
これがあるということを知ることが、勇気ある人生のひとつの出発点であると思います。

大川隆法著『光ある時を生きよ』第4章

勇気さえ持てば運命はどうにでもなる。

勇気があれば何だってできる。
言い訳を排し、勇気を元手にして戦うことだ。
勇気があれば、その一言が出る。
勇気があれば、手を差し伸べられる。
勇気があれば、立ち上がれる。
勇気があれば、ほかの人の命を救うこともできる。
自分の運命だって変えられるし、
人の運命も変えることができる。
それが勇気だ。
ユートピアの創造は勇気から始まる。
勇気を持った人が出てこなければ、
ユートピアなんてできない。
後の人々のために身を挺して戦う人が要る。
自分自身で刈り取ろうと思わないで、
自分自身が果実を手に入れようとしないで、
後の人々のために尽くす人が要る。
その人に必要なものが勇気なのだ。

大川隆法著『勇気の法』より

信仰を生きる糧、光とする

現在、困窮のなかにある方、苦労しておられる方、非常に大変であろうと思います。今後も様々な試練は続きますが、いろんな試練のなかで、どうか強く信仰を持っていただき、 それを未来に生きる糧、光としていただきたいと思います。

海外からも多くの人たちが日本の復興を願う祈りをしてくださっていると思います。 どうか、世界をその光で一つにつないでいくような努力をしていただきたいと思います。

無常の風に吹かれて、この世においては何一つ確かなるものはありませんが、その無常の風のなかで吹き飛ばされる砂塵のような存在である現代文明も、その中に一条の真理の光が通った時に、存在の価値が明らかに現れてくると思います。

大川隆法法話「諸行無常の風に吹かれて——インドと日本」(2011年3月12日)

正しい信仰心があれば、震災被害者も天上界に還る

東日本で多くの被害がでて、行方不明の方もまだいて、ご心配されている方もずいぶん多いでしょうけれども、(その方々は)亡くなられたとしても、実在界に還られます。

正しい信仰が彼らのうちに立っていたならば、何も心配することはありません。この世よりもはるかによい世界に還っています。この世に生き残っている方は、体育館で震えながら配給を待っていますが、亡くなられた方は常夏のハワイのようなところにいます。正しい信仰心を持っていたならば、そうなっています。

(中略)

必ず、みんな天上界に上がっています。当然、供養は必要ですが、そんなに嘆き悲しみ続ける必要はありません。彼らは必ず正しい世界に還って、天使ないしは天使の予備軍として、後に続く我々を指導する側に変わる人々であると、固く信じてやみません。

大川隆法法話「不滅の信仰」(2011年3月20日)

前向きで未来型・危機対応型の再建をする

私はむしろ、日本全国の皆さんがマイナス志向に陥ったり、萎縮したりすることの方を恐れています。

いま、関西にまで避難場所を作るなどやっていますが、ちょっと大げさなので、ほどほどになさった方がよいと思います。早く正常なかたちに戻していかねばなりません。買占め等で物が一時的になくなり、パニックを起こしていますが、人為的なパニックはやはり無駄で、その後、やがて物が余って困るようになります。それほど神経質にならないように気をつけた方がよいでしょう。

(中略)

震災に関しては、あとは復旧作業あるのみです。通常の活動を止めずに、被害があったところについては、もっと前向きな、未来型・危機対応型の再建をされるように強く訴えかけていきたいと思います。

大川隆法法話「不滅の信仰」(2011年3月20日)

過度な自粛は復興にマイナス

銀座だろうが、渋谷だろうが、夜6時になったら電気を消し、お店を閉めて、省エネに励んだりしはじめています。

日本が萎縮して、「派手なことをしてはいけない」「甲子園もパレードはやめよう」「野球もナイターはやめよう」など、みんな自粛ムードになりかかっていますが、これでは、経済的にもっともっと小さくなっていきますので、これは国の復興にはマイナスです。こういう時にこそあえて、顰蹙を買う覚悟で元気のいいところを見せないといけないと私は思います。これから、日本の国民にもう一段の勇気を持たせ、奮い立たせていくようにしたいと思っています。

たとえどんな大震災が来ようと、日本の繁栄は揺るがない——これは幸福の科学の使命としてやりたいと私は思います。

(中略)

みんなの暗くなった心に灯を点けていく必要があります。私が申し上げたいのは、次のようなことです。日本全国がいま自粛ムード、萎縮ムードになっています。実際、2万人近い方が亡くなり、お葬式やお通夜に近い面も出ているかもしれません。また、節電しているところ、いろいろ店が休んでいるところを見ると、うらぶれた感じもないわけではありませんが、「絶対に復活するのは間違いない」ということを信じて頑張りたいと思います。

大川隆法法話「人を育てる秘訣」(2011年3月23日)

決して後退することなく、道を拓いていく

現今の、震災の中から立ち直っていくところに取り憑いて、日本国民やその心を貧しくしようとする貧乏神が多発し、徘徊し始めています。これと戦うには、少し違う角度の考え方を持たねばなりません。

(中略)

何もかも控えていくことが、必ずしもいいことではありません。こういう時に、町の復興、商店の復興、いろんなことを考えて、買っていいものであるならば買ってあげることが大事なことで、復興に役立つことです。もっと災難が来るからと、財布の紐をしめて、ただただジッとしているようでは、なかなか復興はしていきません。みなが控えると、経済全体がどんどん萎縮してくるのです。

(中略)

考え方一つで、未来はどういうふうにでもなります。自然災害と人間の智慧とが戦ってきたのが文明の歴史であったのです。我々は決して後退することなく、これを乗り越えて、新たに道を拓いていくことが大事だと思います。

決して、昔返りすること、戦前あるいは戦中に返っていくこと、配給システムで最小不幸社会をつくることが目標ではなく、やはり、今まで以上の繁栄を、数年後に取り戻すことを目標にして頑張るべきであると申し述べておきたいと思います。

大川隆法 法話「貧乏神と戦う法」(2011年3月25日)

不幸の時代というものは、ある意味で、恐怖の時代でもあります。この時代の究極にあるものが、戦争であったり、地震等の天変地異であったりするでしょう。

それでは、恐怖の反対とは、いったい何でしょうか。それは愛です。人々は、自分の身を守りきることができずに、苦しみ、悲しみ、悲惨のなかに、恐れおののき、わななき、震えています。

経済的に成功しないことや、未来が見えないこと、生存していくことの不安、こうした恐怖から救うものは、やはり、人の愛なのです。優しい気持ち、「人を助けたい」という気持ちであると言ってもよいでしょう。「そのままのあなたを、私たちは、あるいは私は、愛しているのです」と言ってあげる心だと言ってもよいでしょう。

「そのままのあなたで素晴らしい。そのままのあなたで、仏子であり、神の子である。あなたの輝いている素晴らしいところが、私の目には見える」、そのように言ってくれる人が数多く出現することが、恐怖の時代には必要なのです。

(中略)

愛とは、人々を結びつける力です。そして、人々を強くする力でもあり、希望へと導く力でもあります。そのように言えると思います。

したがって、いま、みなさんに必要なことは、愛のともしびを高く掲げることです。ちょうど、闇夜の灯台の光のように、闇を照らしつづけることです。

一人ひとりのロウソクの炎、松明の炎は小さなものであっても、それが数千、数万、数十万、数百万となっていったときに、この国の闇、そして世界の闇は、しだいに追い詰められ、明るいものへと変わっていくでしょう。

特別な奇跡を求める必要はありません。奇跡の根源は、一人ひとりの心のなかの可能性として眠っているのです。

まず、みなさん一人ひとりが、心のなかに火を灯すことが大事です。希望の光を灯すことです。

自分のなかの可能性と、そして、愛を灯すことのできるその力に、仏神の植え込まれた深い深い慈悲の思いを感じ取らなくてはなりません。

大川隆法 月刊「幸福の科学」04年2月号

逆境において、ほんとうにいちばん偉い方というのは、この常勝思考を持っている方なのです。

逆境のなかにおいて、大きな天意、天の意志というものを読みとり、「この逆境が、この挫折が、自分に何を教えんとしているのか」を読みとるのです。いや、読みとらねばなりません。

この天意、天の心を読みとり、「自分にいま必要なものは何なのだろうか。いったい、この挫折や苦難は、自分に何を教えようとしているのか」——この部分を読みとって、その後の自己の人格形成、その後の行動の成功原理にもっていける、こうした体験のある人には、徳というものが生まれてきます。

そこに非凡な力が、光が、輝いているからです。

苦難のとき、失意のときに耐えるということだけでも非凡ですが、ほんとうに非凡な人というのは、そのなかに天の意志を読みとって、自分をさらに生かしていく積極的な種を見出し、その種を育てていきます。それがほんとうの非凡であり、そこに徳が生まれます。

大川隆法著『常勝思考』第三部

みなさんの人生のことを知っているのは、みなさんだけではありません。みなさんの人生は、数多くの天使たちによって見守られているということを忘れてはならないのです。

彼らの姿を私は数多く見ています。彼らは天上界にあって、地上にいるみなさん一人ひとりの人生を、いつも見つめています。そして、みなさんが悲しんでいる時には、彼らもまた悲しみ、みなさんが喜んでいる時には、彼らもまた喜んでいるのです。

そのように、自分と共に歩み、自分と共に生きている存在があるということを、いかなる時も忘れないでいただきたいと思います。ときには、天使がみなさんを背負って道を歩くこともあるのです。

みなさんは、目に見えるものだけを信じ、目に見えないものを信じないかもしれません。しかし、目に見えないもののなかに、どれほど多くの愛が隠されているか知っていただきたいのです。

大川隆法著『愛から祈りへ』第2章

「決して乗り越えることのできない苦難・困難はない」ということも人生の真実です。

この世で起きる不幸というものは、ある程度、予想されていることばかりです。予想されていないような事態など、ほとんどありません。それゆえに、この世で、どのような不幸があったとしても、「乗り越えていけない」ということはないのです。

したがって、不幸な出来事のせいにしないことが大事です。「あのことのせいで、自分の人生は駄目になった」と考え、その不幸を人生の最後まで引きずるのが、いちばん、よくないことです。たとえ、不幸な経験をしたとしても、それを心の糧として、素晴らしい人生を生き抜いていく努力をすることが、とても大事であると思います。

大川隆法著『ストロング・マインド』第1章

「主を信じ、主を愛する」ということは、「主と一体となる」ということです。

私は、いつも、あなたがたと共にいます。あなたがたが幸福なときにばかり、共にいるわけではありません。

あなたがたが私を必要としているときにこそ、私は、あなたがたと共にいるのです。そのときのために私はいるのです。

あなたがたが一人で幸福に過ごせているときには、私の姿を見ることはできないでしょう。しかし、あなたがたが不幸のなかにあって、ほんとうに困っているときには、私に祈ってください。私のことを思ってください。私は、必ず、あなたがたと共にいます。

それが信仰の意味です。信仰とは親子以上の深い絆です。なぜなら、私とあなたがたは魂でつながっているからです。

大川隆法著『君よ、涙の谷を渡れ。』第1章

みなさんの人生の途上において、挫折、失敗、苦難というものが出てくることがあるでしょう。しかし、大きな人生修行の目的というものを考えたときに、はたしてみなさんは、それを避けて通ればすむのでしょうか。これを考えていただきたいのです。そうした苦難や困難を避けるために、この世に生まれてきたのでしょうか。この問いに答えなければいけないと思うわけです。

人生の目的を考えてみたとき、実際はそうではないことがわかるでしょう。何百年か、あるいは何千年かに一度、この地上に肉体を持つ理由は、今世、この地上において、新たな環境で、さまざまな人びとに囲まれて、新たな魂修行をしようということなのです。その魂修行のなかには、決して、よいことばかりがあるのではありません。それを当然の前提として、この地上に生まれ出てきているはずです。

この世に生まれてきたということは、ものごとがスイスイとうまくいくということばかりが前提になっているわけではなく、いろいろな経験を積み、いろいろな紆余曲折を経ながら、人格が一段と大きくなり、底光りしてくることを目的としているのです。そうした大きな人生の目的というものを中心に考えてみると、この世の苦難や困難といわれるものの正体は、実は違ったものに見えてくるはずです。これが、常勝思考という考え方の立脚点なのです。

大川隆法著『常勝思考』第四部

この世というものは仮の世です。永遠の生命を生きている者同士が、同時代に、この物質世界において、肉体に宿り、人間的生活を送ることによって、共に切磋琢磨しているのです。

そして、盲目の人生を生きている人が数多くいるからこそ、偉大な光たちも、次々に、この世に舞い降りて、衆生の救済にいそしんでいます。

ある者は男の肉体に宿り、また、ある者は女の肉体に宿って、地上の人々を教化し、救済することに、命を懸けております。

以前、私の著書『永遠の法』(幸福の科学出版刊)がミリオンセラーになりました。「この世とあの世の仕組み」と「転生輪廻の法則」を述べた、この真実の本は、すべての人が、死ぬ前に一度は読んだほうがよいと思います。生きているうちに読んでこそ、その人生は光り、また、死後の人生も光ります。

人は必ず死を迎えます。それが、いつであるかは分かりません。きょうか、あすか、あるいは一年後か、十年後か、二十年後か、それは分かりませんが、死は百パーセント必ずやってきます。

「その後に来る人生こそが真実の人生である」ということを、また、「今世というものは、その後の、真実の人生を生ききるためにこそ、意味を持っている。魂を鍛え、光らせるために、大いなる意味を持っている」ということを、『永遠の法』は示しているのです。

大川隆法著『永遠の生命の世界』第5章

「日はまた昇る」という言葉は、言い古された言葉かもしれません。しかし、この言葉は人生の真実であり、日は確かにまた昇るのです。

夕方、水平線に消え去った太陽は、十余時間の闇の期間を経て、確実にまた昇ってきます。太陽は人びとに、没しても必ずまた昇ることを約束してくれているのです。

地上の全人類のうちで、「日はもう昇らない」と思っている人が一人でもいるでしょうか。すべての人が、「日はまた昇る」ということを信じて疑わないはずです。なぜでしょうか。

それは、「きょうも、きのうも、おとといも、一年前も、日は昇った。また、十年前も、あるいは自分たちの先祖の時代にも、日は昇った。したがって、あしたも、あさっても昇るだろう」と思っているからです。

人生においても同じであり、どのような苦難や困難のときでも、日はまた昇るのです。

苦難や困難にある人に、ぜひ実践していただきたいことがあります。それは、自分の現在のあり方を、第三者の目で冷静に見てみるということです。そして、「自分と同じような苦難や困難に陥った人が、かつていなかったかどうか」と考えてみるのです。

大川隆法著『不動心』第1章

死は悲しいものです。

しかし、これは、仏教の根本である「諸行無常」なのです。

「生老病死」と言われるように、人は、生まれ、老い、病にかかり、死ぬのです。これは真理であって、変えることはできません。

老いを止めることも、死を避けることも、誰にもできないのです。これは宇宙の真理なのであり、そうである以上、人は、その真理に従って生き、そして、地上を去っていかなければなりません。

死は、肉体人間にとっては確かに悲しいことではありますが、霊的な目から見れば、あの世への旅立ちであって、本来の世界に還ることです。この世の生活は、外国の学校に留学しているようなものであり、留学が終わって本国に還ることが死なのです。

人情として、あるいは文化として、死を悲しむのは分かりますが、悲しみすぎると問題があるのです。

『永遠の生命の世界』第4章

あなたの主を信じ、

あなたの主を愛しなさい。

そして、あなたの主の愛を受け止めなさい。

私があなたがたを愛していることを信じなさい。

私はあなたがたを愛しています。

その私の愛を純粋に受け取ってください。

あなたがたが私を愛すれば、

「私もあなたがたを愛している」ということが分かってきます。

あなたがたが私を愛すれば愛するほどに、

私の愛が分かってきます。

「あなたがたは愛されている。

あなたがたが、

悲しみや苦しみのなかにあるとき、

苦難のなかにあるとき、

私もまた、あなたがたと共にいる。

あなたがたと共に苦しみ、共に悲しみ、

そして、あなたがたを助けようとしている」

そういうことが分かってきます。

私は、いつも、あなたがたと共にいます。

あなたがたが私を信じるかぎり、

私は、いつも、あなたがたと共にいます。

朝も昼も夜も、どんなときも、

あなたがたと共にいます。

あなたがたが病気で苦しんでいるときには、

私も苦しんでいるのです。

大川隆法著『君よ、涙の谷を渡れ。』第1章