写真:日刊現代/アフロ

《本記事のポイント》

  • 教育現場では、子供一人当たり、税金が1千万超を投入されている
  • 明治維新は、江戸時代の教育システムを土台にした「多様な人材」が起こした
  • 明治の近代化は、エリートが自助努力や利他の思いなどを強く持っていたから起きた

「150年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として、迎えました。しかし、明治政府は、国の未来のために、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました。

『国の力は、人に在り』

東京帝国大学の総長に登用された山川は、学生寮をつくるなど、貧しい家庭の若者たちに学問の道を開くことに力を入れました。女性の教育も重視し、日本人初の女性博士の誕生を後押ししました」

安倍晋三首相はこのほど行った施政方針演説で、このように語った。演説では、教育に10回、子供に12回に言及し、教育無償化や保育士の待遇改善など、教育行政に力を入れる姿勢をアピールした。

国民一人当たり、税金は1千万超を投入

確かに、貧困によって教育を受けられないのは社会的な問題だろう。だがその一方で、消費増税の財源で税金を投入する以上、シビアにその成果が測られるべきである。演説では、その肝心の成果が見えてこず、教育の受け皿を広げるというバラマキ色が色濃いものとなった。

教育に対する税金は、年間一人当たり小学生には約84万8000円、中学生には約97万9000円、全日制の高校生には約91万3000円が投入されている(平成21年度の国税庁資料より)。つまり、小中高を卒業する間に、計1000万円超の公費が費やされている。

政府は新たにその投入幅を、幼児教育や高等教育にまで拡大するつもりだ。しかしすでに、税金で支えられている公立は、私立や塾におされ、競争力を失っている。

公立校を卒業すれば、教育無償化で塾に頼らずとも、難関大学に入学できる学力まで高められるのだろうか。むしろ、無償化で余ったお金は、塾代に回されるのではないか。

皮肉なことに、文部科学省職員の子供も、必ずしも公立に通っているわけではない。根本的な問題である「教育の質の向上」にテコ入れをせずに、無償化に踏み切る正当性があるのかは疑問だ。

明治維新は「多様な人材」が起こした

安倍首相は今回、明治時代を意識した教育論に触れたが、ならば、あえて当時の人材論を持ち出して反論したい。

安倍首相は、税金を投入して、文科省が規定したレールによって有為な人材を輩出する方向だが、明治の人材について、作家の司馬遼太郎は、著書『「明治」という国家』の中でこう語っている。

「薩摩の藩風は、物事の本質をおさえておおづかみに事をおこなう政治家や総司令官タイプを多く出しました。長州は、権力の操作が上手なのです。ですから官僚機構をつくり、動かしました。土佐は、官にながくはおらず、野にくだって自由民権運動をひろげました。佐賀は、そのなかにあって、着実に物事をやっていく人材を新政府に提供します。この多様さは、明治初期国家が、江戸日本からひきついだ最大の財産だったといえるでしょう」

明治維新が起きた要因には、各藩が「独自の人材」を生み出したことにあるという。背景には、それぞれの藩が定めた方針に基づいた藩校を運営し、教育内容もバラバラだったことにある。その結果、百花繚乱のごとく、個性ある人材が輩出された。

江戸時代の教育システムは、文科省の形式的で画一的な教育行政とは一線を画している。文教政策の自由化を進まないと、国家繁栄の礎となる人材を輩出するのは困難だろう。

「自分が一日怠ければ、日本の進歩が一日遅れる」

さらに明治時代のエリートの意識も、現代人とは異なるものだった。

当時、海外に留学した人たちの日記を見ると、皆一様に、「自分が一日怠ければ、日本の進歩が一日遅れる」(日露戦争の英雄、秋山真之)というような言葉を綴っている。

つまり、明治のエリートは、自分よりも、他者のために尽くすことを第一に考えていた。

こうした自助努力や利他の思い、公共心を持った人々が、国家の中枢を支えたために、明治の近代化政策が成功したのだ。教育に税金を投入すれば、すべてがうまくいくわけではない。現代の教育政策も、江戸時代や明治の時代の知恵から学ぶべきではないか。

(山本慧)

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