2017年11月号記事

衝撃レポート

揺らぐ「脳死は人の死」

脳死宣告から3年、娘の身長は11センチ伸びた

ドクターヘリによる救命医療を描いたドラマ「コード・ブルー」でも注目を集めた脳死者からの臓器移植。果たしてこれが正しいのか、日米の医療の現実を元に考えた。

(編集部 河本晴恵)


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「脳死は人の死」

この定義を受け入れられない日本人は多いようだ。

日本で、脳死状態での臓器移植が可能になったのは1997年。今年の10月で20年となるが、日本における脳死状態からの臓器移植のドナーは、過去20年間に476人(*1)にとどまる。同じ期間でアメリカでのドナーが約15万5千人(*2)であることを考えれば極めて少ない。

国際移植学会は2008年の会合で、「(各国が)臓器提供の自給自足を達成するために努力すべきである」との宣言を発表した。臓器が不足する中、自国民を後回しにして外国人に移植を行うことが問題視されているからだ。日本国内でも臓器移植のドナーを増やす必要があると議論されている。

しかしそもそも、「脳死」は本当に「人の死」なのか。

「脳死」と診断されて3年が経つ、ある子供に出会った。

(*1)日本臓器移植ネットワークウェブサイトより。9月16日現在。
(*2)アメリカ保健福祉省ウェブサイトより。8月31日現在。

Part 1

「脳死」と診断されても娘は生き続けている

「脳死」と宣告された子供と3年以上生活してきた母親が体験したこととは。

里子さん(左)と希美さん。幸福の科学の長崎中央支部で「ユー・アー・エンゼル!」の集いに参加した時の様子。

記者が長崎県に住む西津希美さん(5歳)と出会ったのは今春、幸福の科学の障害児支援「ユー・アー・エンゼル!」運動(以下、ユーアー)の取材の時のことだ。寝たきりの希美さんを「重度脳障害児」かと思っていたが、母親の里子さんに、「脳死」と診断されていると聞き、驚いた。

西津さん親子の人生が大きく変わったのは、希美さんが1歳11カ月の時の交通事故だった。

対向車が中央分離帯をはみ出し、里子さんが運転する車に正面衝突した。里子さんは軽症だったが、希美さんはぴくりともせず、息をしていなかった。

「病院でお医者さんから『お子さんはもう戻らないかもしれない』と言われた時、どん底でした。その場で『私が代わりになればよかった』と泣き叫んでしまいました」

「脳死」であると診断されたが、人工呼吸器をつけていると心臓は脈を打ち、体は温かい。両親は希美さんが「死んだ」とは、納得できなかった。

次ページからのポイント

これでも「死んでいる」の?

長期脳死の子供たち

脳死とは?