大東亜戦争で「完勝する」方法 ――主戦場が太平洋ではなく、インドだったら - 編集長コラム

大東亜戦争で「完勝する」方法 ――主戦場が太平洋ではなく、インドだったら - 編集長コラム

写真:近現代PL / アフロ

 

2017年10月号記事

 

編集長コラム Monthly Column

 

大東亜戦争で「完勝する」方法

―― 主戦場が太平洋ではなく、インドだったら

 

 

「日出づる国」日本のミッション

「日出づる国」日本のミッション

綾織次郎著

幸福の科学出版

 今年8月15日は、インド独立70周年の記念日だった。モディ首相はニューデリーの古城レッド・フォートで演説し、「国民が決意し、強くあったことが、私たちの国に自由をもたらしました」と語った。

 この古城は先の大戦中、インド独立も目指す日印共同の「インパール作戦」に加わったインド人指揮官が「反逆者」として支配者のイギリスに裁かれた場所。インド国民の怒りが爆発し、独立が決定的となった。

 

 

人種差別を終わらせるプラン

 前号の本コラムでは、「日本のサバイバル」を目的として設定し、アメリカとの戦争を避ける方法などを考えてみた。今回は「あるべき国際秩序をつくる」ための戦争設計を検討してみたい。

 日本が先の大戦に追い込まれた理由は主に、(1)欧米の人種差別主義に基づく植民地支配、(2)ソ連・共産主義のアジアへの拡大、(3)世界恐慌後のブロック経済―の3つだった。

 米英との戦争は(1)と(3)が原因だったが、単に(3)を解決して「サバイバル」するだけでなく、(1)の人種差別の世界を終わらせるための最善の選択肢を整理しておきたい。

 

 

開戦時に「大東亜宣言」

 1941年12月の「開戦の詔書」は、米英に対する「自存自衛」を中心にうたったが、「大東亜戦争」という名前にはアジアの植民地を解放する狙いも込められていた。

 それは、戦争終盤の1943年11月、ビルマやフィリピンなどアジアの独立国の首脳が東京に会した「大東亜会議」で採択した「大東亜宣言」に明記された。「アジア諸国は(中略)人種差別を撤廃し、(中略)世界の発展に貢献する」。

 米英は開戦前に「民族自決」(=植民地解放)をうたう「太平洋憲章」を発表したが、アジアやアフリカは「例外」とした。「大東亜宣言」は有色人種の側からの異議申し立てだった。

「大東亜宣言」は終戦の半年前のタイミングだったが、「開戦の詔書」に「アジア解放」が明記され、そのための戦争設計がされていたら、先の大戦はどう展開しただろうか。

 

 

占領地域をすべて独立

 日本は1941年12月、真珠湾攻撃と並行し、石油獲得を目指した「南方作戦」を始めた。

 陸軍が翌年1~2月、英領のマレーシアやシンガポールを攻略。連動して海軍が英最新鋭艦プリンス・オブ・ウェールズなどを撃沈した。作戦が短期間で成功したため、英領ビルマを攻め、3月に主要都市を制圧した。

 続いてオランダ領インドネシアを占領し、油田を確保。米領のフィリピンでは5月に米軍部隊を降伏させた。

 南方作戦中の1942年1月、東條英機首相はマレーシアなどを日本が確保しながらも、「ビルマとフィリピンを独立させる」と演説した。その2年半後になるが、両国を独立させた。

 しかし、開戦時から「アジア解放」を掲げるなら、即時にすべての占領地域の独立を宣言するのがベストの選択だった。

 過去にイギリスの植民地から独立したアメリカが、アジア各国を独立させた日本と戦争し続けるのは難しい。日本が真珠湾を奇襲しなければ、日米の直接対決は避けられた可能性もある。

 ベトナム、カンボジア、ラオスの仏領インドシナ3国についても、すぐに独立させるべきだった。日本軍は1940~41年に3国に進駐。終戦が迫る1945年3~4月に独立を宣言したが、4年前倒しすべきだった。

 加えて、台湾と朝鮮では、独立か日本統治の継続かを投票で選んでもらえばよかった。

 

 

 

インド攻略を2年前倒し

「アジア解放」の最大の目標は、イギリスが支配するインドの独立。理想としては、日本は1942年の時点で、インド攻略に踏み切るべきだった。

 実際には、戦局が悪化した1944年3月になってから、冒頭に触れた「インパール作戦」を敢行した。インド独立運動の指導者チャンドラ・ボースの熱意に押され、東條首相らが日本軍とインド国民軍の共同作戦を決断したが、牟田口廉也中将による補給軽視の作戦で、英軍に惨敗した。

 とはいえ終戦後、この捨て身の作戦がインド国内に独立運動の大波を起こし、1947年8月、独立を達成。「インド独立を決定づけたのは結局、日本軍であった」と評価された(*1)。

 では、インパール作戦の2年の前倒しは可能だったのか。

(*1)インド国民軍の指揮官らに対する軍事裁判で弁護団長を務めたパラバイ・デサイ博士の発言。

 

 

インド解放が勝利の決め手

 1942年の前半、日本軍はマレーシアなどを陥落させたが、その際に捕虜となった英軍所属のインド人兵を中心にインド国民軍が編成された。その指揮官たちは熱心に、「日本軍と共に進撃すれば、国内のインド人兵も蜂起する」と要請していた。

 その中で日本の機動部隊は、ビルマ作戦と連動して1942年4月にセイロン島の英軍基地を空爆した。その際、近海に英東洋艦隊がいた。当時、日本の航空隊の強さは圧倒的で、しつこく索敵して英艦隊を見つけ、全艦撃沈できたはずだ、というのは大きな反省点ではある。

 それができれば、日本海軍がインド洋の制海権を完全に握り、日本陸軍とインド国民軍のインド上陸は容易なことだった。

 インド解放が1942年に実現していたら、イギリスはペルシャ湾からアフリカ東岸回りの石油輸送ルートを日本軍に押さえられ、対独日戦の継続が困難になった。

 おまけに、米英が中国の蒋介石の国民党軍を支援していたインド・ビルマルートを断てるので、日中戦争も終結できた。

 日本の勝利を決定づけるシナリオが「1942年のインド進攻」だった(*2)。

(*2)評論家の小室直樹氏、日下公人氏らの主張。

 

 

もともと「インド」が主戦場

「先の大戦はアメリカとの戦い」というのは常識ではある。

 ただ、開戦直前に政府が決定した対米英戦のプランには、「先ずイギリスの屈服を図り、アメリカの継戦意思を喪失させる」と書かれ、対英戦を優先していた(*3)。そのため、想定された戦場は真珠湾やミッドウェーなど"東方"ではなく、日本近海から東南アジア、インド洋へと広がる"西方"だった。

 しかし現実には、山本五十六・連合艦隊司令長官ら海軍が太平洋での米海軍との戦いに引っ張っていった。

 "西方"のイギリスを主敵とする陸軍と、"東方"のアメリカを主敵とする海軍の主導権争いで、海軍が勝ったというわけだ。

 もし当初のプラン通りに"西方"が主戦場なら、「アジア解放」戦争が展開し、「人種平等の世界」は一気に実現していた。

(*3)日本政府が1941年11月に決定した「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」。

 

 

 

日独同盟は人種平等に反する

 ここで問題となるのが、同盟国ドイツをどう位置づけるかだ。

 ユダヤ人絶滅を目指す人種・民族差別政策を推し進めたドイツは、「大東亜宣言」の理想と対極にあった。軍事的に見ても、日独伊三国同盟はほとんど機能しなかったので、ドイツが「約束違反」を犯したタイミングで破棄して構わなかった(*4)。

 ほとんど意味のない日独同盟だったが、日本がインドを解放し、インド洋の制海権を取れば、ヨーロッパ戦線は一気にドイツ優位に傾く。

 まず、日独が中東の油田地帯を占領し、石油を潤沢に確保。独ソ戦でドイツが勝ち、返す刀で再びイギリスに襲いかかる。  ドイツの全欧州支配が完了してしまうので、アメリカはイギリス防衛に戦力を集中する。陸海軍の大半を対独戦に向け、死力を尽くした戦いの末、何とかドイツを屈服させるだろう。

 となれば先の大戦の結果は、米英はアジアで完敗するが、欧州ではドイツに勝利。ソ連はドイツに負けるが、最終的に米英に助けられ、戦勝国側に立つ。そして、日本はアジアで完勝する。

 これらの戦争設計と展開は"後知恵"ではある。ただ、当時の日本の実力から考えて、何がベストの選択だったかを知ることは、日本が今後、「あるべき国際秩序をつくる」うえで不可欠だ。

(*4)ドイツが対ソ連の日独防共協定を結んでいながら、ソ連と不可侵条約を結んだ1938年8月の時点など。

 

 

中国・北朝鮮を解放する

 日本が先の大戦に追い込まれた理由のうち、(2)のソ連・共産主義のアジアへの拡大をどう解決するかについては、戦後に持ち越された。

 米ソ冷戦は1991年に終結したが、中国、北朝鮮の共産主義との戦いは今も続いている。

 日本が自国を守る「サバイバル」だけではなく、中国、北朝鮮が民主化し、「国民が自分たちの運命を自分たちで決められる自由」を手にする「あるべき国際秩序」のために何ができるか。

 唯物論の共産主義国に対し、日米を軸に神を信じる国同士の同盟を固め、包囲網を強化する。ノーベル平和賞を受賞し、このほど死去した民主活動家の劉暁波の同志を水面下で支援する。北の体制転換を目指す脱北者にも協力する―。

 70数年前にアジア・アフリカの十数億の人々に「自由」をもたらした日本には、中国や北朝鮮を「解放」するミッションがある。

(綾織次郎)

 

先の大戦をより深く理解できる3冊

『東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』

『東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』

大川隆法著

幸福の科学出版

『大川隆法の

『大川隆法の"大東亜戦争"論 上』

大川真輝著

HSU出版会刊
(上・中・下巻)

 

インパール作戦の真実 牟田口司令官の霊言

多くの死傷者を出した「無謀な戦い」として知られるインパール作戦。当時の司令官が、作戦の合理性や戦後の評価について次々に反論する。先の大戦の大義が鮮やかに見えてくる。

全国の幸福の科学支部・精舎・拠点にて開催

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タグ: 2017年10月号記事  編集長コラム  綾織次郎  大東亜戦争  アジア解放  日独同盟  インパール作戦  植民地独立  人種差別  

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